◆心華獨笑◆ 
第四百三八稿
 「上條さん」




2019年 上条恒彦さんとの御縁をいただく



 歌手・俳優の上條恒彦さんが、先月、7月22日、お亡くなりになった。享年85歳。

 幼い頃から憧れていた大スターに、八ヶ岳に移住してから、幸運にもお会いする機会が有り、僅かながらの御縁をいただいた。こちらの事情により、ここ最近はお会いする事も無くなっていたのだが、突然の訃報を聞いて、ショックを受けた。





上條恒彦さん
 今から53年前、自分が8歳で小学校1、2年生の頃、テレビの『木枯し紋次郎』が大好きだった。その時代劇ドラマのテーマ・ソングを歌っていたのが、上条恒彦さんだった。紋次郎役の中村敦夫さんのファンだったことは言うまでもないが、同じくらい好きでファンになったのが、上條恒彦さんだった。

 つまり、ファン歴は53年になるわけだ。自分の上條恒彦さんに対する思いと、その歴史は、以下に詳しくまとめてある。
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『だれかが風の中で・上條恒彦さんとの御縁』



 

『ラ・マンチャの男』 顔寄せ

後列中央が上條さん
 

『ラ・マンチャの男』 1000回記念


『ラ・マンチャの男』で松本白鸚さんと共演 


『ラ・マンチャの男』では1977年から2023年まで

牢名主・宿屋の主人役で、なんと948回出演。
 


 今の若い人々は上條恒彦という名前を知らないかも知れない。しかし、昭和生まれの人でその名を知らない人は、おそらく一人も有るまい。

 それほど有名で、それほど活躍された大スターなのだ。歌手はもちろん、テレビドラマ俳優、映画俳優、アニメの声優、洋画の吹き替え、そして最も力を注いでおられたミュージカル俳優という、実に多彩な顔をお持ちだった。


『マイ・フェア・レディ』の記者会見

草刈正雄さん、大地真央さんらと


 

「マイ・フェア・レディ」 大地真央(中)さんと共演する上條さん(右)




テレビ番組で「だれかが風の中で」を熱唱
 1971年『出発の歌(たびだちのうた)』の大ヒットで「ポピュラーソング・フェスティバル」にてグランプリ受賞、「世界歌謡祭」でもグランプリ受賞。更に1972年『だれかが風の中で』を日本中で大ヒットさせる。

 その後の活動で、特に有名なのが、松本白鸚さんのライフワークとも言える、超有名ミュージカル『ラ・マンチャの男』に、なんと948回出演している。

 上条恒彦さんについては、これ以上の多くを語る必要はないだろう。ネットでちょっと検索すれば、その功績などが山の様に出てくるはずだから。

 そんな偉大な方と、僅かばかりでも御縁を持て、名前を憶えてもらえたことは、本当に幸せで、自慢である。


 

『男はつらいよ』 シリーズ14作 「寅次郎子守歌」 (1974年)

「寅さん」役の渥美清さん(左)と「大川弥太郎」役で共演


 上條さんとの出会いは、八ヶ岳山麓の北杜市の太極拳教室だった。笠島三枝子先生が主宰する「楊名時太極拳教室」で初めてお会いすることが出来た。

 自分が上條恒彦の大ファンだと知った、八ヶ岳在住の知り合いが、「上條さんなら太極拳教室で会えるよ」と、その教室を教えてくれた。その時は、太極拳には何の興味もなかったが、上條さんに会いたい一心で、教室に入った。そして、間もなく、ご本人とお会いできたのだ。


『3年B組金八先生』に「服部肇先生」役で出演




奥様の悦子さんと共に『哲子の部屋』に出演 




『木枯し紋次郎』のテーマ曲

「だれかが風の中で」 EPのジャケット
 
 
  上條さんは大スターであるにもかかわらず、単なる一般人である自分に対して、実に気さくに対応してくれた。初対面の時には、自分の持っているレコードを持参し、すべてにサインをしてもらい、握手をしていただき、記念撮影をした。

 左の写真は、今でも大切にしている、自分が8歳の時に、自分のお小遣いで生まれて初めて買ったEP(シングル)レコード、 『木枯し紋次郎』のテーマ曲「だれかが風の中で」のジャケット。しっかりサインをしてもらい、我が家の家宝として飾ってある。


 

『木枯し紋次郎』のテーマ曲

「だれかが風の中で」が大ヒット


木枯し紋次郎 第1シリーズ第18話

『流れ船は帰らず』 (1972年)に

「釜石の木太郎」役で出演
 


 

亡き父に買ってもらった、生まれてはじめての自分のLPレコード

上條さんにしっかりサインしてもらった




 それ以来、上條さんとは、毎週、太極拳教室でお会いしていた。ただ挨拶を交わすだけではなく、時にはミュージカルのお話しなどもしてくれた。

 上条さんが、「長屋さん、今度いつか、井戸尻遺跡の草原で、一緒に太極拳やりましょう」と言ってくれたのは、本当に嬉しかった。ただ、残念ながらその約束は果たせなかった。

 最初は興味なく、上條さんにお会いできるという目的だけで始めた太極拳は、その後、ドハマりして、のめり込んだ。今でも気持ちの良い青空の下で舞う事が多い。

 太極拳を指導して戴いた、笠島先生には、感謝しかない。
 
 

セカンドアルバム 『街が海に沈む時』



 

サインをしてもらったレコードは宝物





内ジャケットにもサインをもらう
 自分は、仕事の都合で、太極拳教室を辞めざるを得なくなり、それ以来、上條さんと定期的にお会いする機会を失った。しかし、いつか機会が有れば、井戸尻遺跡の草原で、一緒に太極拳を舞える日が来るかもしれないと、ひそかに期待をしていた。

 この度の訃報を聞いて、それが永遠に叶わない夢と化してしまった。残念極まりない。





最高にカッコイイ、大スターだった 





 ファンになってから、47年という年を経て、そのスターと直接のお知り合いになれた。これは、奇跡にも似た、自分史に書き記すべき、輝ける大事件であった。どっぷりと親しい友人関係のようにはなれなかったが、それは当たり前で、大スターに対して図々しい想いであることぐらいはわきまえている。何気なく、常に気さくに接して戴けた事だけで、十分過ぎるほどの幸せであった。

 上条恒彦さん。   心よりご冥福をお祈りいたします。





上條さん、ありがとうございました





令和七年 八月上旬 上條さんの初盆が近い




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