だれかが風の中で
 上條恒彦さんとの御縁




『♪ どーこかでー だーれかがー きーいっとまあってー いてーくれる〜』


 昭和30年代以前の生まれの人で、テレビドラマ「木枯し紋次郎」を知らない人はおそらく一人もあるまい。そして誰もがその主題歌の歌い出し「どーこかでー」を口ずさむことが出来るだろう。その主題歌のタイトルは「だれかが風の中で」。歌っているのは若き日の上條恒彦だ。






木枯し紋次郎
 自分はリアルタイムで木枯し紋次郎の大ファンだった。放送期間は1972年(昭和47年)の正月に放送開始、第1シーズンと第2シーズンを合わせて約1年。その時の自分の年齢は放送開始時が7歳で、最終回の時が8歳だった(小学校1年〜2年生)。

 木枯し紋次郎の放送枠は土曜日の夜10時30分から11時30分の1時間。当時、7〜8歳の子供の寝る時間は夜の9時頃というのが普通だった。しかし、どうしても木枯し紋次郎が見たい。この時代は当然ビデオなどというものはまだ世の中に出現しておらず、リアルタイムで見る以外に方法はない。明日は学校も休みだからと、親にお願いして我儘を通して、土曜の夜だけは木枯し紋次郎を見る為に夜更かしして良いという許可を貰った。


 少年は土曜夜の9時を回る頃に期待で胸を躍らせている。今夜は木枯し紋次郎だ、と。しかし9時30分頃になると目がボンヤリしてくる。更に10時になれば目は半目となり視界はボヤケ、あくびが続く。紋次郎まであと30分だ、ガンバレ! 母親は横でその様子をクスクス笑いながら見ていて「もう寝たらぁ〜」などと意地悪を言う。何を言う!寝てなるものか!ここは根性の見せ所、我慢のし所だ。紋次郎がオレを持っているのだあー!

 ―そしてついに10時30分。急にテレビのブラウン管が真っ暗になり、ヒュウゥゥゥ〜という楊枝をならす木枯しの音と共に、
 
 『市川崑劇場』
 『笹沢左保 原作』
 『木枯し紋次郎』

と、真っ黒の画面に青い文字が浮かび上がり、
 
 カッキーン!ビン〜・・・

という効果音が闇を裂くように鳴り響く。


テーマ・ソングが流れる画面

(これは第三話のタイトル)




主演 中村敦夫
 
 唐突にシーンが始まり、プロローグの、ほんの短い粋なショート・エピソードが終った次の瞬間、画面が変わり、

 ♪ バーバーバーバーバーバー 
          スッチャカチャカチャカチャカチャカチャン・・・

 というオープニングに続いてカッコイイ、ギター・ソロのイントロダクションで渋い声の上條恒彦の歌が始まる。

 ♪ どーこかでー だーれかがー きーいっとまあってー いてーくれる〜

 オープニング・タイトルの大作映画の始まりを思わせるような、美しくもカッコイイ映像が流れる頃、少年は朦朧とした薄れゆく意識の中で、この曲を耳に勝利を確信する。勝った!オレは起きていたぞ!いよいよ紋次郎の始まりだ。さあ、今夜こそはちゃんと最後まで見るぞ〜! と満足の笑みを浮かべながら、安らかな眠りに落ちていくのであった。


 この不毛の一人我慢大会は紋次郎が最終回になるまで、毎土曜日に繰り返された。今思えば、上條恒彦の歌声は少年にとって最高の子守歌だったのだ。

 それほど大好きだった木枯し紋次郎。紋次郎役の中村敦夫の大ファンだったことは言うまでもないが、テーマ・ソングを歌っているシンガーの上條恒彦に、主演の中村敦夫以上に惚れこんでしまっていた8歳の少年である。

 因みに、上條恒彦は紋次郎の第1シーズンの最終回、「流れ船は帰らず」に釜石の木太郎という渡世人の役で出演もしている。


釜石の木太郎役の上條恒彦




上條恒彦
 
 ここで、上條恒彦について少々紹介したい。

 1940年長野県生まれの、歌手、俳優、声優。代表曲「出発の歌」(たびだちのうた)「だれかが風の中で」は日本国中で大ヒットした。ミュージカルでは「屋根の上のバイオリン弾き」で主役のテヴィエを森繁久彌の後をついで熱演。「ラ・マンチャの男」では長年牢名主役を務めている。NHK紅白歌合戦には2回出場。現在79歳(2019年現在)。八ヶ岳山麓在住。

 来年春には80歳を迎える往年の大スターということになるが、実は今もバリバリの現役。つい先々月、10月いっぱいまで、松本白鸚(松本幸四郎)が主役セルバンテス、ドン・キホーテを演じる、あの伝説的ヒット・ミュージカル「ラ・マンチャの男」に牢名主、旅籠の主人役で出演していた。




「ラ・マンチャの男」ポスター
 
 「ラ・マンチャの男」は『ドン・キホーテ』を原作としたミュージカルで1965年ニューヨーク・ブロードウェイで初演された。日本での初演は1969年で、現在まで延々と上演し続けられ、今年50周年を迎える伝説的なミュージカル。松本白鸚は初演からずっと主役を務めており、今までに1200回を超える上演を行っている。

 上條恒彦は、その「ラ・マンチャの男」で牢名主(劇中劇では旅籠の主人)役として、1977年公演以来、800回以上出演。主役の白鸚同様、もはや上條以外の牢名主は想像もできないほどの存在感を放っている。




舞台のシーン

旅籠の主人役の上條恒彦(左)と
ドン・キホーテ役の松本白鸚(右)


牢名主としてセルバンテスの松本白鸚と絡む




NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」
 
 そんな上條恒彦の、現在までに出演した代表的な作品を紹介したい。

 テレビ・ドラマでは「木枯し紋次郎」をはじめ、「3年B組金八先生」NHK大河ドラマ「徳川家康」「武田信玄」「秀吉」「葵 徳川三代」「軍師勘兵衛」連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」などなど。

 映画では山田洋次監督の「男はつらいよ」市川崑監督の「獄門島」「帰ってきた木枯し紋次郎」熊井啓監督の「千利休 本覺坊遺文」などなど。

 舞台では「ラ・マンチャの男」をはじめ、「屋根の上のバイオリン弾き」「世界の中心で、愛をさけぶ」「キャバレー」などなど。

 声優ではジブリ・アニメ「紅の豚」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、ディズニー映画「リトル・マーメイド」のセバスチャン、その他に「ドラえもん」などなど。

 そしてなんと、自分の大好きな映画、1975年ジョン・ヒューストン監督の「王になろうとした男」の主演ショーン・コネリーの日本語版吹き替えもやっているのだ!




紙芝居師 杉浦音松役として出演

松下奈緒との絡み



主演の松下奈緒、向井理と




「男はつらいよ」には2本に出演

これはそのうちの1本 第14作のポスター



寅さんの渥美清と大川弥太郎役の上條恒彦

(第14作 寅次郎子守歌の1シーン)




「哲子の部屋」に奥様の悦子さんと出演


「哲子の部屋」の別の回 左から 

上條恒彦 山本圭 ミッキー・カーチス 黒柳哲子


 

スタジオ・ジブリ 「紅の豚」

東宝創立60周年記念作品


マンマユート・ボスの声を担当 




スタジオ・ジブリの傑作「もののけ姫」


エボシの側近ゴンザの声を担当




ジブリの大ヒット作「千と千尋の神隠し」


油屋の従業員である蛙の化身、父役の声を担当




ディズニーの大ヒット作「リトル・マーメイド」


海の王トリトンに仕えるセバスチャンの声を担当




『だれかが風の中で』

47年前、生まれて初めて自分のお小遣い
で買ったEP(シングル・レコード)
 
 話しは自分史に戻る。我が家は貧乏ではあったけれど、なぜか家具調の立派なステレオ(レコード・プレイヤー)があった。父は音楽が好きで、酔っぱらうといつもクラッシックを掛けていた。自分はどうしても欲しくて、お小遣いを貯めて、木枯し紋次郎のテーマ・ソング「だれかが風の中で」のシングル・レコードを買っており、ヒマが有ればそのレコードを繰り返し掛けていた。

 或る日、音楽好きの父が、オマエ達ももっと好きな音楽を聞くとイイと、珍しく母と兄と自分にLPレコードを1枚づつ買ってやるという。3人ともビックリ!こんなことは滅多にない、と言うよりも、39歳で他界した父が、何かを買ってくれたという記憶は、後にも先にもこれ一度しかない。


 母は大好きだったニニ・ロッソ(イタリアのトランペッター)のベスト・アルバムを選んだ。兄が何を選んだのか記憶が無い。そして自分は、迷わず、上條恒彦のアルバムを選んだ。人生初、生まれて初めて手に入れた自分のLPレコードはこの時の上條恒彦のアルバム「グランプリ」だった。

 小学校2年生が欲しいと選んだレコードは、アニメの主題歌や童謡やディズニー音楽などではなく、上條恒彦である。父からも母からも、お店の人からも、「変わった子だねぇ〜」と笑われた。

 このレコードは8歳の少年の宝物になった。収録された12曲の曲はどれもこれも素晴らしかった。テレビ番組の木枯し紋次郎を入口として、この時からシンガー・上條恒彦の大ファンになった。既にファン歴47年になる。


父が買ってくれた初めての自分のLP

旅立ちの歌 「グランプリ」

このアルバムの「風のマーチ」が特に好き




BAR OZNU (小角堂)

自分はこの店の経営を17年間やった
 
 自分は35歳の時、勤めていた設計事務所を辞めて飲食店を立ち上げた。「小角堂(おづぬどう)」という風変わりな店で、初めはカフェがメインだったが、やがてバーになり、「BAR OZNU」として深夜まで営業していた。

 店はジャズ・バーで、レコードをかけるのが売り。多くの音楽好きの常連客が毎晩集まってレコードの音に酔いしれていた。

 基本はジャズなのだが、深夜になれば常連客のノリでなんでもかける。ロック、クラッシック、ブルース、日本の名曲。

 そんな中、毎週のように始まるのが「上條ナイト」だった。昭和30〜40年代生まれの客が多く、みんなリアルタイムで上條恒彦を聞いている。深夜、常連客の誰かが「マスター、そろそろ上條かけようかー!」と言い始める。その声で「よしきたー!」と上條恒彦のアルバムをかけまくるという「上條ナイト」が始まるのだ。実に楽しい、ゴキゲンな時間だった。

 そんな店も17年間の営業で幕を閉じ、自分は八ヶ岳に移住したのだ。




店は名古屋の今池という繁華街のはずれにあった


このカウンターでみんなが上条恒彦を歌った




アルバム「グランプリ」の見開きの内側
実はこのアルバムは2枚持っている

父に買ってもらったものはジャケットが1枚ものだったが
その後に見開きジャケット版が発売された

どうしても見開きジャケットも欲しくて同じアルバムの
ジャケット違いを大人になってから自分で買ったのだ
 
 八ヶ岳に移住して間もない頃、地元の知り合いから「長屋さんの家の比較的近くに、歌手の上條恒彦が住んでいるよ」と教えられた。エッ!まさか、ホントに〜!? その知り合いはハッキリとした場所は知らないが、そのエリアに住んでいることは確かだという。

 ビックリ仰天だった。ドキドキして嬉しかった。しかし、いくら長年のファンだからといって、家を探して突き止め無遠慮に訪ねるなどという迷惑な行為はしたくなかった。

 このエリアに住んでいるのなら偶然会うことがあるだろうと、天運に任せてその時を待つことにした。


 スーパーに買い物に行く時、コンビニに行く時、エリアのレストランや蕎麦屋に行く時、常にキョロキョロと辺りを見渡し、上條恒彦は居ないかしらと探したものである。特に上條恒彦がたまに利用すると聞いたレストランは複数回行ってみた。だが、そんな努力も空しく、出会う事は無く3年が過ぎ、4年目の令和元年も終わりに近づいてきた。

 そんな歳の瀬も迫る12月初旬の或る日、漸くその日が訪れた。やっと機が熟したのだ。とある理由で、とある場所で、ついに上條恒彦、本人と間近で会う事が出来たー!


熱唱する若き日の上條恒彦


 

ついにお会いすることができた!




セカンド・アルバム「街が海に沈む時」


持っているレコードすべてにサインをもらった




大スターにお会いするので、かなり緊張したが

上條さんは、実に気さくで優しい人だった
 
 自分にとって上條恒彦は大スターであり、映画やテレビや舞台の中の人であり、天上界の人であった。だから、いちファンとして「上條恒彦」と呼び捨てにしていた。

 しかし、この日、こうして現実に会い、会話をし、知り合いになり、身近な存在になった今、尊敬と親しみを込めて「上條さん」と呼ぶようになった。

 初めて上條さんに会った時は、緊張でドキドキでカチカチになっていたが、実に気さくで優しく、持って行ったレコードすべてに丁寧にサインをしてくれた。天にも昇るような喜びである。

 47年にも及ぶ片思いの恋が、この日やっと実ったって感じだろうか。しかも、スターにただ会ってサインをもらって握手をしたという、いちファンとしての出会いではない。これから上條さんとは月に2〜3回のペースでお会いすることになったのだから。




 もし、上條さんにスーパーやコンビニで偶然出会っていたら、たぶんその瞬間でスターとファンの出会いは終わり、「上條恒彦」は「上條さん」にはならなかっただろう。やはり、「機が熟す」という時があるのだと思う。

 今回のこの長々とした文章は、自分が上條恒彦という大スターと知り合いになったよ〜!という自慢ももちろんあるが、それよりも今も現役で活躍する上條恒彦という偉大なるアーティストを、深く知ってほしいという気持ちが大きかった。

 今日はクリスマス当日。
この稿を書き終えて、図らずもこの出会いが
自分にとって最高のクリスマス・プレゼントになったという気がした。天運に任せたのが正解。安心して信ずれば良し。






天からの贈り物 




                              令和元年 クリスマス



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