間引きと堕胎(人工妊娠中絶)
矢崎幸男
『人間が見捨ててきた、おびただしい数の人間の霊(水子霊)が、地球を覆っている。その怨みが原因で、人の世が今滅びつつある 』。
実のところ、私は神直先生のこの話に少しばかり疑念を抱いておりました。というのも、子殺しという点では、昔の「間引き」と現在の「堕胎」とに、それ程の違いはないと思えたからです。むしろ、生まれてきた子供を殺す、昔の「間引き」の方が、よっぽど残酷だとも思えたからです。そこで、これについて少し述べさせていただきます。
そもそも「間引き」は、どのような状況でなされたものでしょうか。重い年貢をとられた後に残る食料はわずかでした。飢饉の時にはなおさらです。子供が一人生まれる毎に、家族が口にできる食べ物は確実に減っていきました。およそ人間の食べ物とは言えない様なものまでかき集めても家族みんなを養うことが出来ません。こういった極限状況の中、泣く泣く、生まれてきた子供に手をかけたのが「間引き」です。我が子をかわいくないと思う親はいません。その小さな口に食べ物を入れてあげたいと思わない親もいません。そうしたなかで、自分の子供を殺すわけですから、そこには、絶叫にも似た深い悲しみがあった筈です。罪の深さを知りつつ、子供に手をかけなければならなかった親は、深い悲しみのうちに、長年にわたって、我が子の魂を抱きしめていたことでしょう。神仏も万やむなく「間引き」をせざるを得なかった親とともに、涙を流されたことでしょう。そして何より、間引きをされた子供も、親の深い悲しみの心に抱かれながら早い時期に成仏したものと思われます。
現代の「堕胎」はどうでしょうか。人間社会の勝手な考え方に振り回され、堕胎を実行してしまった方の多くは、「胎児殺し」は「人殺し」とは異なると考えております。また、自分達は、医者に金を払うだけで、胎児の死体の後始末までしてもらう「堕胎」では、母親、父親は、いっさい殺した我が子を見ずにすみます。その結果、さしたる罪の意識も生じません。当然のことながら、供養などにはとても考えが及びません。しかし、神仏の法からすれば、生まれてきた子供を殺すのとお腹の中の子供を殺すのとで、違いがあるはずもありません。両者とも魂修行の機会を根こそぎ奪ってしまうという点では同一だからです。そして何より、殺された子供にしてみれば、身勝手な親の理屈のもとに、自分の手足がもぎとられたという怨みが、日々積み重ねられていきます。親がそのことに気付いて供養してあげなければ、とうてい成仏など出来ようはずもありません。
以上のように考えてくると、殺された者の立場からすれば「堕胎」の方が「間引き」よりもはるかに残酷な行為だという他ありません。「間引き」が人の世の滅びの原因とならず、「堕胎」が滅びの原因となった理由はまさにここにあると、わたしは考えております。
追 記
一、堕胎に関しては、それを正当化するいろいろな理由、理屈が述べられます。たしかに、万やむを得ない場合があることも理解できます。しかし、そうでない場合の方が多いように私には、思われます。
(1)例えば、子供は二人までにして、すでに生まれている子供を大学まで行かせたいというような理由があります。しかし、自分の子供を殺した親が、生まれ出た他の自分の子(水子の兄弟)に本当の愛を教えられるでしょうか。なぜならば、親自身が、自分の都合の良い時は子供を産んで愛するが、都合が悪い時には子供を殺してしまっているからです。
(2)子育てはもう少し後にして、自分の可能性を追求してみたいというような理屈もあります。しかし、我が子を殺してまで追求すべきだとする可能性とは、一体どのようなものなのでしょうか。
(3)「水子霊は堕胎されるのを承知の上で、母親の胎内に宿ったというような、堕胎する側にとってまことに都合の良い理屈もあります。しかし、このような理屈は、自分自身が親に捨てられ、水子とされたら、どんなふうに思うであろうかという視点を抜きにした暴論というほかないでしょう。
どのような理屈をもってしても、妊娠を継続さえすれば、確実にこの世に、一人の人間が誕生したという事実をくつがえせるものではありません。何の落ち度もなく、何の抵抗もできない時に、生命を奪われたという点だけとって観ても、堕胎の罪は、殺人の罪と同等か、それ以上に重い罪です。しかしながら、殺してしまった親の側からすれば、「人を殺す認識がなかった」「水子霊があの世で苦しむことを知らなかった」という点で過失犯的であり、同情されるべき面もあります。したがって自分の罪に気づき、心からの供養をし、水子を成仏させることができたならば、大慈大悲の神仏は、未熟な時の行為として、きっとお許しになられます。貴方の供養が貴方御自身をも救います。
御供養を実行しようと決心することは辛いことです。なぜならば、それは、水子が奈落の底で苦しんでいることを認め、自分自身の罪の深さを認めることになるからです。そのため、心が安定するような理屈に飛びつきたい気持ちも痛いほどわかります。というのも、私の家系にも水子がいるからです。
ちなみに、神直先生によると、先祖が捨てた水子まで含めると、成仏していない水子は、少ない家系で三人くらい、多い家系では五人六人といるとのことです。 合
掌