山口貞照師(教祖先生御令室)
慈光院聖裕貞照大姉となられました

                       

蛇之倉の母様へ 
山中奏真 第181(西暦2012) 

 九月二十八日(平成24年)、いつもと変わらぬ秋晴れの下、教祖神直先生の御令室様山口貞照先生が七十四歳でこの世を去られました。

 「ちょっと検査入院へ行ってくるね」と言われ、元気に帰ってくるものと信じて疑わなかっただけに、この突然の別れは、夢のようで、ふとすると御教祖様の横に今も変わらずいらっしゃるように錯覚してしまいます。

 貞照先生は神直先生とともに蛇之倉七尾山の開山、発展に御尽力され当時病弱なお体でありながら、大ハンマーで岩を割られたりして、土方作業に従事されました。また、ノコギリや斧で薪をつくり、信者様や修行生達の風呂焚きを毎日なされ、修行面においても、一貫して修行生を教え導いて下さいました。このようにして、蛇之倉山役員、修行生、そして信者様をお導き下さった貞照先生は、まさに「蛇之倉の母様」でございます。

 

 病院からお家に運ばれる時は、貞照先生のご生涯を象徴するかのような雲一つない綺麗な空。そして告別式が斉行される日は皆の悲しみに呼応するかのような、大粒の雨がとめどなく降り注ぐ大雨大嵐の台風の日となりました。そのような中、御葬儀に参加された方は約三百人、九州・四国・関東方面から雨に打たれながらも、御参列下さいました。弔電・供花も数多く届けられました。貞照先生がどれほど沢山の人に慕われ、別れを惜しまれていたか…。「人間はこのように人に尽くし生きていくんだよ」と最後の最後まで私達に教えを下さったように感じてなりません。

 

 普通でしたら、人は亡くなってすぐは身動きができず、御魂の落ち着くべき世界へなかなかたどり着けないもので、だからこそ残った家族の祈りの力が必要なのだそうですが、貞照先生は生前中に御自身が積まれた祈りの力によりすでに「弥勒の世界」へ旅立たれたと葬儀の後、教祖先生からお聞きしました。

 これから御山は母様をなくし、寂しさに包まれる日々がしばらく続くと思いますが、貞照先生の残された教えを後世に残すよう、役員・修行生ともに精進してまいります。

 ここに貞照先生の御冥福をお祈り申し上げます。 合 掌     

 

 

若き日のこと 
管長(二代) 三浦入覚 

 私がこの御山・神直先生について修行の道に入ったのはまだ十代の終わりから二十代にかけてのことでした。奥さんとの思い出は、つきなく数限りなくありますが、若かりし頃のエピソードを一つ ‥‥

 随分と前のある正月、節積師、智言師が宴席にて酒を飲んでいた。飲み終わった特級の一升瓶に二級酒を入れて、奥さんがそれを差し出すと両師は「やっぱり特級酒は違うなぁ、うまいにゃあ」と言っているのを見て、奥さんと私は大笑いしたことがある。

 奥さんほど、ユーモアにあふれ、そのうえ人のことを考え気が付く人はいない。あれほどの人はもう現れないかもしれません…。御山も寂しくなりました。 合 掌 

 

貞照先生と私 
副管長 木下利真

 五十年前、医者に見放された時、ある行者さんより「泥川にいる山口神直先生と言われる方のところに行くように」と勧められて蛇之倉七尾山に来たのが教祖先生、奥様との最初の出会いでした。

 それから、施真と山に入って薬草を採ってきて煎じて薬として頂きまして、一年一年元気を取り戻してきました。

 その後、奥様と共に道場を開くための工事に加わり、働けるようになりました。奥様は長い年月、病気で来られる方の為に薬草を煎じて飲ませたり、施真をして助けてきました。また多勢の道場生を立派な行者さんに育てられました。観音様のような慈悲慈愛にあふれた方でした。私にとっては母の様な兄妹の様な間柄で過ぎ去った50年間の思い出が走馬灯のように浮かび、涙があふれます。

 自分のことより他人を大切にする奥様から九月二十三日戸閉式の後、「陽明門の完成まで長生きしてよ」との言葉を頂き、それが私との最後の会話でした。

 ありがとうございました。本当にありがとうございました。 合

 

早四十九日が過ぎて 
下宮晃真(後の三代管長)
 

 貞照先生が法界に旅立たれて早四十九日が過ぎました。生前中は全ての人に合わせ、愛し、私達は母のようにお慕いしてきました。在りし日のお姿が心から離れず、惜別の念を禁じえませんが、この蛇之倉山の偉大な母の代わりを、多くの人で助け合いながら務めて行かなければなりません。

 共に陽明門落慶を迎える事は叶わぬ事となりましたが、御仏の世よりご照覧下さい。 合 掌 

 

明るく楽しかった貞照先生 
保坂智明
 

 暗い顔を見せた事がなかった奥様。周囲を明るい雰囲気にして笑いを与えてくださいました。今でもあの笑い声が聞こえてきます。蛇之倉七尾山少女歌劇団と称し団長として団員(老若男女)を集め、歌に踊りにと会場全体を盛り上げて笑いの渦を起こし、カラオケでは特に 「美空ひばり」の歌が大好きでよく歌われました。「川の流れのように」の曲を聞くとマイクを持った姿がまぶたに浮かび涙が止まりません。今もペンを走らせながら過ぎ去りし日、楽しかった時を思い浮かべ涙で字がにじみます。何かにつけて相談に乗ってくださった奥様。今は頼れる柱が無くなって心細さを感じます。さようなら。長い間お世話になり、御指導下さいまして有難うございました。心より御礼申し上げます。願わくば、生まれ変わっても御一緒したいと念じております。 合

                     

八年間のこと 
加光慈泉

 八年間お世話になりました姿がないととても寂しく悲しくて‥ 

 奥さんには優しさ厳しさ笑顔そしてたくさんたくさんの愛を 頂きましたふとするとまだ先生の横に座っているようで車を運転していると横で笑っているような気がします一言ではこの月日の思い出や感謝の心は言い表すことができませんただありがとうございますという心と少しでも奥さんに頂いた優しい心に近づけるように日々努力していきたいと思っています奥さんが教えて下さった 色んなことを少しでも近づけるように頑張っていきたいと思います。 合 掌 

                     

奥さんへ 
越前市 加光慈海

 御神殿・仏間・家の中は常に掃除をされピカピカだった。

 家の中で皆が嫌う汚い所ばかり掃除をされた。

  朝一番早く起きてお給仕・お祈り行をされた。

 誰かれ病気やケガをすればすぐに薬をくれたり処置をしてくれた。

  朝から晩までいつも先生から家中の者の心配をし続けていた。

 先生にしこまれた強い忍耐力・行動力・包容力があった。

 ぼけーっとしているのが大嫌いでいつもパタパタと動いていた。

 家の者を活気づけたり怒ったりして元気一杯だった。

 自分の体がしんどくても常にほかに世話をかけない様に他人にはしんどさを見せなかった。

 奥さんは今も私達の追いつくことのできない目標で、いつも格好良く、明るく、強く、優しく・たくましく指導して下さいました。奥さん、これからも私達をどうぞ近くでお護り下さい。 合 掌

               

思い出を振り返ると 
宝塚市 山中奏真

 修行生として入山して十一年。楽しかった事、苦しかった事、どの思い出を振り返ってみても奥さんがいます。今でもいつものお席にいないのが不思議に思うくらいです。

 五年前から始まった陽明門の御造営に対しては行き詰まる度に「奥之院の孔雀門の時もこうだったんだよ。頑張らなあかん」と励まし、道を示して下さいました。奥さんがいなくなって、とてもさびしく、不安な思いですが、せめて陽明門が無事完成し、その姿をたくさんの方々に見て喜んで頂くのが、ここまで導いて下さった奥さんへの恩返しと思い、精一杯頑張りたいと思います。
奥さん、どうか天国から見ていて下さい。合 掌


今思えば 
矢崎幸男

 御令室様は、周囲から常に教祖先生の奥様として見られ、さぞしんどかったことと思われます。常に皆の手本として立居振る舞わなければならず、疲れたときにも自室に戻って足を伸ばすことさえ自由に出来なかったものと思われます。教祖先生と奥様と息子さんだけの三人の生活に、さぞ憧れていたことでしょうに…。これらのことを考えると、お世話になった一人として大変申し訳なくなってしまいます。
 あの世では、少し足を伸ばされのんびりされて下さい。出来の悪い道場生で申し訳ありませんでした。ありがとうございました。 合 掌