教祖先生直筆日誌その①
第49号(西暦1990年)
※この文章は、教祖先生が書かれたものです。
神仏に護られて
「発っ車ー!!」、濃い霧の中から、無線(架線を動かすエンジンを運転している者と、荷物を受けとる者とが連絡し合う無線)を通じて聞こえてくる、仕事始めの声。荷揚げ用に架設された架線を動かすエンジンが、けたたましい音を立てて始動する。仕事前の一時の団欒。焚火を囲んでいた人の群れは、あわただしく四方に散る。
御山(蛇之倉七尾山)の天候は、移り変りが激しい。花咲く春爛漫というに、働くみんなの吐く息が白い。
「10メーター前 」
「5メーター前」
「ストップ!」
大きな合図の声がとぶ。架線の動きが止まり、100㎏をこす(何百㎏もある)長い鉄の柱が、架線に吊られて上ってきた。御山の奥之院までの参道は、遠く、険しい。この険しい道の補修と、御山の道中に散在する御神境の整備工事のための、御用材の運搬である。
「大将、肩をかしてや」、鉄骨のそばにいた親方らしき人が声をかける。別の場所にいた、二三人が親方の声で、鉄骨に駆け寄る。みんな一斉に、架線に吊るされている鉄骨の下に肩を入れる。
「先生(蛇之倉山では、ただ「先生」とあったら、それは神直先生のことです)は、もっと真ん中に!」
「旦那はもう少し後ろの方に来て」親方の言われたように、みんなその位置につく。
「今度の鉄骨は重いよ。みんな腰に力を入れて。いいですか。綱をほどきますよ。奥さん(ただ「奥さん」とあったら、それは神直先生の奥様のことです)、綱をほどいて!」
「みんな、いい。縄をほどくよ」…。鉄骨を吊るしていた綱がほどかれる…。鉄骨に肩を入れていた人達の顔が、一瞬 引き締まる。
「大丈夫ですか?」傍(そば)で見ていた奥さん達女性軍が、声をかけたが、鉄骨を肩に担いでいる男性軍は、「ウッー」と、言ったきり声も出ない。
「足元に気をつけて」、女性軍のやさしい気づかいの声にも鉄骨を担いでいる男性軍は、返事も出来ない。
「一・二、一・二」傍で見ている女性軍から掛け声が出る。担いでいるうちの一人の足元がぐらつく。
「危ない!!」皆一斉に、ぐらついた足元を見る。
「親方、大丈夫か?」
「大将も大丈夫か?」
「旦那は?先生は?」鉄骨を担いでいた人達から、やっと声が出る。
目的の荷をおろす場所に着いた。
「みんな、慌てるな、肩が違うぞ、落ちついて!」
「息を整えよう」
「早くして、重い」
「頑張れ、掛け声でおろすぞ」
「気をつけて」みんな、てんでんバラバラな事を 口ばしっている。
最後に、親方の「イチ、ニィ、サン」の掛け声で、やっと鉄骨がみんなの肩から離れた。
「フゥー」、一斉に白い息を吐く。わずか10メートル余りというのに、みんなの額から〝ななかまどの実〟ほどの大きさの汗が吹き出ている。
「発っ車ぁー」、次の荷物の合図が送られる。
この御山で働いている人達は土木専門に仕事をしている地元の方々ではない。遠く、山梨・東京・福井・大阪・四国と、一流都市に住んでおられる町場育ちの紳士・淑女ばかりである。それ故、〝親方〟に〝大将〟〝旦那〟と、その下につく位がない。みんな一家のお偉い方々ばかりである。奥様方も、〝大御所〟〝大奥〟〝淑女〟と、見分けもつかない方々ばかり。貧乏人も金持ちも関係ない。皆一列平等。欲得なしに、後世に何かを残そうという、神仏へのまこと心の奉仕者ばかりである。
次の荷物が上がってきた。
「10メートル前」
「5メートル前」
「ストップ!」今度の鉄骨は初めの物よりはるかに軽そう。奥様軍団が、鉄骨の下へ肩を入れに行く。
「駄目、だめ」親方が注意する。
「担いでみなければ分からないでしょう!」女性軍の反発。親方は口をつぐむ。
「ここの女性は恐ろしいからなァー」、親方は誰に言うともなく言って口をつぐむ。今度は、女性軍の親方に交替する。
「はい、皆さん、呼吸を整えてください。いいですか。綱をほどきますよ」男性軍の親方に、
「すみませーん、綱をほどいて下さい」女性軍親方の頼みで、男性軍の親方は案じ気味に、しぶしぶ綱を緩める。
「あら、軽いじゃない!」男性軍親方の心配は拍子抜けしたようであったが、それもそのはず、女性軍の担いでいる鉄骨は、男性軍の担いだ鉄骨の三分の一ほどの重さ。また担ぐ人の数も男性軍の倍の数。荷物の重さより、担ぐ人の足がからんでまともに歩けそうにない。今度はそばで見る男性軍からのヤジが飛ぶ。
「もう少し静かに歩け!」
「荷物の重さより、自分の太い足の方が重いぞ」
「後ろから見れば、お尻ばかりで、アヒルの行進だ」と、男性軍の好き放題のヤジが飛ぶ。そうこうしているうちに荷物をおろす場所に着いた。
「イチ、ニィ、サンで降しますよ」女性軍の親方は、みんなに合図する。
「待て、まて」そばでヤジを飛ばしていた男性軍が駆け寄って、女性軍の荷物を支える。全てが意気統合。互いに褒めたり、くさしたり……。五・六回荷物を上げている間に、お茶の時間が来た。
今度は、炊事班が忙しい。早くから準備はしているものの、慣れぬ焚き火に手間をとられる。火を燃やすのに一苦労。煙にいぶされてか、目は真っ赤に充血し、顔は木炭でところどころ黒いところが、可愛らしい。
「御苦労様です、お茶を召し上がって下さい。大変でしたでしょう、重かったでしょう。本当にすみません」自分の仕事を手伝ってもらったように、炊事班はみんなの労をねぎらう。
無言の中に〝にいっ〟と笑う白い歯。どの顔もこの顔も、化粧もなく汗にまみれ、泥にまみれた顔と顔なれど、その姿は生き生きとして神々(こうごう)しく美しく輝いている。仕事はまだまだ続くが、どの仕事もみんな無経験である。女の人の手を見ても、男の人の手を見ても、どの人の手を見ても、みんな、キリキズ絆創膏をはって、傷の痛みを隠している。
燃えぬ焚き火を囲んで、またひとときの団欒。今度は、〝親方〟も〝大将〟もいない平素のあだながものを言う。その尊いみんなのあだなの一部を、今そっと、御紹介させて頂こう。
| あ だ 名 | 自 称 | 本 山 役 職 | 御 本 名 |
| ケ チ | 得手聾えてつんぼ | 総務部長 | 斉藤 善次師 |
| 文無し | 偏 屈 | 宗務部長 | 山口 廣開師 |
| 学 者 | 知恵無し | 宗務副長 | 樋川 由次師 |
| 大 将 | や せ | 企画部長 | 木下 利行師 |
| よし子 | 天邪鬼あまのじゃく | 別格副貫主 | 斉藤 光玉師 |
| おとう | 虚弱体質 | 保安部長 | 大田圭之助師 |
| 旦 那 | 能無し | 別格財務部長 | 堀 勇治師 |
| 兄ちゃん | 糞ったれ | 別格宗務部長 | 下宮 幸司師 |
| 親 方 | 霊感者 | 別格宗務副長 | 坂口 邦彦師 |
| もっちゃん | 早とちり | 宗務部役員 | 山口 基樹師 |
| タミちゃん | 無口 | 保安部役員 | 植田 多藏師 |
| オバハン | セッカチ夫人 | 甲府道場斉主 | 矢崎 眞意師 |
| バーサン | ダッテ令夫人 | 企画部役員 | 保坂智恵子師 |
| トゥチャン | ナーモ夫人 | 別格企画部副長 | 斉藤よし子師 |
| ヒロコ婆 | おおおく夫人 | 本山企画部副長 | 山口 裕子師 |
| ケイコ婆 | ザーマス夫人 | 本山企画部副長 | 大田 桂子師 |
| シルカ婆 | 統領夫人 | 本山副書記 | 藤谷 静泉師 |
| ド ジ | アワテン坊 | 本山勝手元締 | 山口有美子師 |
| オケイ | ボケナス | 宗務役員 | 善田ケイ子師 |
| みよ五郎 | ヌケサク | 宗務役員 | 荒木 み代師 |
| チヤチ | ウスノロ |
大学院生 | 大田祥江チャン |
| 悶着言い | バカタレ | 本山審議会長 | 西川 照水師 |
| ボク | ヘッタレ | 本山修行生 | 井上 憲和君 |
以上の如く、ひとときの団欒は、あだなをもって呼び、あだ名をもって応える。そして大きな爆笑が山彦となって木霊(こだま)する。作業の辛さ、個人の苦しみ悲しみはどこへやら……。
こうした喜びは、神の加護・仏の御護(みまもり)がなくて、どうして実現できようか。
尚、各地より、吾が身の都合を問わず、御奉仕に御協力下さる御同志のかぎりなき数、ここに謹んで感謝の御報告を申し上げます。尚またこれからも、御神域の作業は続きます。その都度、御同志御奉仕活動並びに作業の模様を啓上させて頂き互いに喜びを分かち合わせて頂きたく存じます。 合 掌
直筆日誌その②
平成元年5月~10月
第50号(西暦1990年)
神仏に詣でて(一)
「六根清浄」
「六根清浄」
五月の雨は濃い霧と変わり、白い真綿の如くなって、四方の景色をすっぽりと包んでいる。その濃霧の底から、それを突き破るかのように、大きな掛け声が聞こえる。
「御山は晴天、六根清浄、懺悔、懺悔、六根清浄」
大きな声が人影となって、濃霧の中から浮き出てくる。
「六根清浄」
「六根清浄」
一人、また一人 。声の数が人の数となって行列を作り、神仏の御前にと登りくる。※
※先生は、蛇之倉山の中腹にある白華滝におられ、下から登って来られる参拝者を見ておられるので、「登りくる」という表現がなされております。
突然「痛い!」の声。
「どうした?!」同時に行列の歩みが止まる。行列の先頭を切っていた先達さんが、〝痛い〟の声に向かって走り寄る。
「大丈夫か?」
「大丈夫」
「どうした?」
「岩に足を取られて……」と、側の人が答える。
「痛いですか?」
「いや、大丈夫です。」
四・五名の人が、〝痛い〟の声を囲み、口々に心配している。雨上がりの岩場の道は、よく滑る。その岩場に足を滑らしたのだろう。大事はなかったようだ。先程の先達さんが、みんなに、「大丈夫でした。皆さんも気をつけてください」と、声をかける。先達さんの一声で、行列は元の姿に帰り、掛け声も新たに、勇ましく登ってくる。
御山の奥之院の神仏に詣でる人々の顔には、険しき道を登るため、玉のような汗がふき出ている。それでも、行列のみんなの目は、いきいき、らんらんとした輝きを放っている。
「よう、おまいり。御苦労様です」
御山の中腹にある当山唯一のみそぎ場、白華瀧に、常時参詣者の方々の安全のために待機している、当山専属の山先達さんが、参拝者の方に言葉をかける。
「有難う」
ほほえみかえす笑顔は、どの人の顔も皆、菩薩のよう。〝ハァハァハァ〟険しい山坂を登ってきたので、みんなの呼吸も厳しい。
「こちらに冷たい水が湧いています。どうぞ召し上がって下さい」と当山の山先達さん。
白華瀧に湧く御神水を戴き、一息ついた方からぼつぼつ元気な冗談もとび交うようになった。
「あなた、足の方はどう?」先程、足を滑らせた方に、連れの一人が聞いている。
「はい、有難う。おかげ様でもうなにも痛くないの」
「そう、良かったね。ここの御山の道は険しいからね。私も神仏詣りが好きで、ほとんど各地の霊山札所のお詣りをさせて頂いていますが、ここの御山の道は特に険しいですよね」と、別の連れの一人が答える。
「昨年お詣りさせていただいた時でしたか、あの時、『お父ちゃんと一緒に今度は、道なおしの御奉仕に来るの』 なんて言ってたけど…」
「お父ちゃんと一緒にご奉仕に来なかったの?」別の一人が聞く。
「うん、私は来るつもりだったの。でもお父ちゃんが、御奉仕に行く旅費をつくらねばと、あれからずーっとパチンコ通い!!」
「ワハハハー」
「アハハハー」
あちらでも、こちらでも屈託なき冗談と笑い声が、一息の休みを元気づける。
山裾の霧の中から、別の一団の法螺の音が登ってくる。
「それでは、一息ついたところで、当所の神々神仏に御納経させて頂きます」当山の山先達から一団の先達さんに、そして一団の先達さんから参詣者全員に、集合の合図が伝わる。
神我照覧の心に連なる人々。言わずとも神仏鎮まる御前に集まる。みんなの集まったところで、当山山先達が
「それでは、先生、お願いします。」と、一同を連れてこられた一団の先達さんに神前での御納経をお願いする。指名された先達先生は、突然泡を食ったように、
「いやあー、山先達さん、こんなもったいない役、私には無理、あんたにお願いします。」と言ってその場を離れようとする。
「いやあ、先生、どうぞお願いします。」山先達は、また、一団の先生に、みんなの為にと一生懸命お願いする。町場に於いては、すぐ格式だの、地位だの、権限だのと誇示する場面だが、互いに真の平和を願い、人々の幸福を神かけて願う人達の集いである。互いに人格を尊び敬重している。巷に見られぬ真人(まことびと)らの美しき様相が続く。「それでは、私が先導させて頂きます」時の流れに、当山山先達が導師を司る。修験行者の祈祷法にちなみ、厳粛かつ荘厳な御納経が始まる。一同の願い奉る声は神仏への請願となり、言霊となって神山全域を被う。
山先達の御祈祷で身も心も清められた一行は、一団の先達先生の新たな指示に従って行列を組む。これから神仏鎮まり給う当山奥之院への参詣である。
一人の落伍者も出ないように、怪我過ちのないように、みんなの無事参詣を願う当山先達の、真剣な指示・指導が始まる。
「これから先は、絶対にタバコを吸わないように、列を乱さないように、汚物は捨てないように、カメラ等にての観光撮影は絶対しないように!」等、いろいろと注意があり、いよいよ出発。
「道中は、先頭の先達先生(当山先達のこと)の指示に従って下さい。それでは出発ー」講長様の綽綽として、声高らかな号令がかかる。
直筆日誌その③
第51号(西暦1990年)
神仏に詣でて(二)
白華瀧の神仏の御前で一団となっていた列が動き出す。山先達 を先頭にして整然たるものである。突如、山先達さんの気合の入った 掛け声。「六根清浄 六根清浄」後に続く一団もそれにならう。
「六根清浄 六根清浄」
「ザンゲ ザンゲ」
「ザンゲ ザンゲ」
「六根清浄」
「六根清浄」
「御山は晴天、六根清浄」
「御山は晴天、六根清浄」
白華瀧を右にしながら一廻り登ったところに、大日如来様がお祀りされている。この仏様は、今(平成2年)から三十年ほど前、元鞍馬山 行者の梅谷如心師と申される女の行者さんが一人娘の難病を救わんと当所に籠り一心不乱の祈願修業中、御出現下され種々の御済度賜りし御仏様という。この御仏様の御前を通りながら、参詣者一人一人が、それぞれ願掛けをしていく。
道はますます険しくなる。往古、後醍醐天皇も都落ちなされし折この険しき谷間をお登りなされたとのこと。
御仏の御前を少し通り過ぎると、摩訶不思議と言うか、岩石が折り重なる馬の背のごとき傾斜のところから、御神水と申しますか、御霊泉が湧き出でている。修験道開祖役之行者尊が、当初の湧水を用いて、日本六十余州の険しき神瀧を鎮められたというが、開山当時は地に秘めて、水滴の気配すら感じられなかったのである。現在は、当所の白華瀧にその飛沫をあげている。
ありがたや 聖者の徳に 照らされて
醜身も浄む 白華瀧
山先達から随所の説明を聞きながら、また登る。みんなの呼吸も一段と厳しくなる。「六根清浄 六根清浄」先達さんの掛け声がなくとも、おのずとひとりでに掛け声が出る。
杉木立の中の険しい道を五分程登ると、目の前が明るくなる。濃い霧もいつの間にか晴れ、樹木の妨げもなく視界が見渡せる。雲の向こうの山の峰も、眼下に流れる山上川も……。先程聞こえた法螺の音は人影となって登ってくる。
登っていく前方に、鉄骨で構えた御神域が見えてくる。白髭大神仏様の御社である。大きな桂の木の懐に鎮座まします縁結びの神仏様にて、津々浦々の若男若女が、毎年多く慶祝を授かっているとか。桂の木は昔から縁結びの神木と呼ばれているが、当山の桂の木は長い歴史の中に、神霊宿り木として、雄木雌木になって繁っている。山先達さんの説明を聞きながら、一同一心にそれぞれの願いをかける。
柏手を打てば、その音の響くところに、当山最上のそして最高の神秘の御戸扉がある。天の岩戸を思わせるような岩門がそびえ立つ。もう一息だ。「六根清浄」。流れ出る玉の汗を拭おうともせず、険しき道にも、一同の足がはやまる。山先達さんは、みんなの安全を思って叱咤する。「あわてないで!足元に気をつけて」
叱咤する 先達の声 慈悲ふかく
神仏の御光 山一面に
ようやく、奥之院岩門前に着いた。山先達さんが差し出してくれたお手にすがる。神様仏様のお手のようだ。
「よく登って来られましたね」山先達さんのやさしいおほめの言葉に、今来た険阻な道をふりかえってみる。
「ワァー」初めての者なれば、みんなびっくり。町場なれば、想像もつかない所まで登って来ている。目の前に連なる山と雲。眼下に広がる緑に向かい、頂上を極めた歓びに一同の声なき感無量の心がうかがえる。
岩門を守るかのように門の両脇に、山岳の主神とされる不動明王尊と、役之行者尊の石像が安置されている。石門の奥正面には、当山の主斉神の御社が祀られている。
御社の御正面に向かって右手に石門に上るように鉄梯子がかけられている。また、山先達さんの説明で、これから本願の、当山奥之院大神仏の御霊前に参拝させて頂くのである。
「種々のみそぎ祓をさせて頂きます。御社前に集まって下さい」の声に初めてお詣りに来られた新客さん、またもびっくり。「まだ登って行くんですか」と、しきりに側の人に聞いている。大先達講長様の厳粛な御請願と御祈祷により、一同心まで引き締まる。みそぎ祓いをして頂き、いよいよ神仏鎮まります奥之院に登る。講長様より、講の各先達さん方に持ち場守護の指令が下る。参詣者全員はやる心を抑え、指示を待つ。
「さあ、ただ今より御参詣させて頂きます。一列に並んでください」やっと、行場指導係の先達さんから指示が出る。両面切り取られたような岩壁。どのようにして取り付けられたのか鉄の梯子。その梯子を登らなければ、神仏の御前に辿り着くための第一門の御扉まで行けない。講長様を先頭に、一同行儀よく鉄梯子の前に並ぶ。随所には各先達さんが一同の安全のため待機され、万全の御参詣の態勢が整った。
直筆日誌その④
神仏に詣でて(三)
第52号(西暦1991年)
人の世の のぼる山坂 のりこえて
仰ぐみ空に 神のみ光り
しかし、身にいいしれぬ緊張がただよう。その時突然、破れ鐘をたたくような声で、「臨・兵・闘・者‥‥」お行場指導の先達さんが一同の心身の恐怖感を取り払ってくださるように、一同に向け法印加持を与えてくださった。それとともに、「般若波羅蜜多心経‥‥」誰の口からともなく、御経文が流れ出した。
出発。大勢の人の群れなのに、どよめく人の気配もなく静かに人の列は、鉄の梯子を登り行く。一歩、一段と登り行く人の姿は、諸業無常、諸悪の衣がはがされていくように見えた。
鉄の梯子を登りつめると、二・三歩危なげな石段があり、それを降り進むと、頭と足を一つにしなければ入れないような石洞がある。此処が、人間界と神仏の世界の境界(仏門)であろうか。
地を舐めるように頭を低くして、やっと石洞をくぐり抜けると、突然、前の人のお尻に顔をぶつけた。四方が真っ暗である。明るい所から不意に暗い所に入った人の眼は、すぐに暗い環境には慣れない。「すみません」、顔をぶつけられた前の人のお尻が、先に挨拶してくれた。「有難うございます」、顔をぶつけた方が後から御礼を言っている…。前の人のお尻は後ろから来る人の顔を避けられず、顔をぶつけた人は前の人のお尻がなければ、やにわに、石塀に鼻柱をぶつけていたことだろう。
とやかくしている間に、真っ暗な目先にも、視界がうっすらと開けてきた。先頭を行く、山先達さんが灯してくれた道しるべのロウソクが、ぼんやりと見える。目でロウソクの灯りを追いかけると、数十尺の鉄の鎖梯子が、真直に垂れさがっているのが見える。その上にもロウソクの灯りが揺らいでいる。その下を、人の頭が灯りを追いかけるように、一つ二つと登っていく。いつのまにか経文が、六根清浄に変わっている。早速、また六根清浄に切り替える。
「六根清浄」「六根清浄」
前の人に習い、後ろの人に押されて、鎖梯子の前に来た。目の前の鎖梯子に足を掛け、手で鎖梯子を力いっぱい握りしめる。「六根清浄」おのずと口からほとばしる掛け声。
昔、開山当時、邪心なる人が当鎖梯子の中間にのぼり、上にも行けず、下にも行けず、金縛りにあったとか、ふっと先程の山先達さんの説明を思い出し、金縛りにあわないように一心に願いながら、無我夢中で登る。
有難や四十八の鎖ここに見て
祈力の徳ぞ今ぞ知るらん
「そラァ、もう一足だ 」、山先達さんに服装の襟を持たれて、我にかえる。
鎖梯子の最上段に登ると、「六根清浄」がまた、お経文に変わっていた。神仏の御前に着いたのだ。あちらこちらで、すすり泣きの声がする。ぼんやりとした灯りの中に、地にひれ伏してすすり泣く人の姿。合掌して、何かを求めているような人の姿。一心に経文を唱え 数珠をつまぐって(爪繰る 指先で繰り動かすこと)いる人の姿。誰にも頼らず、だまされず、自らの力で、真の神仏の御前に立つことができたのだ。すすり泣く声は、大きな嗚咽の声となって、経文の中にまじり込む。
一番後尾を守っていた山先達さんが登ってきた。講長様が一同に清めの九字を切り、大自然の中に何億年、我らが大地を、生物をお護り下さるために御出現下された大神仏様に御燈明とお香を捧げた。
各先達さん達は、洞窟内でしんしんと湧き出ている御霊水を汲み取り、先達さん一人一人の手を経ながら、大神仏様の御前に御献水なされている。「ブォーン ブォーン ブォーン」、洞内をゆるがすような法螺の音。先達さん達の御献水が終わったのだ。
一同を代表して、講長様の御請願。人間本来の願い、世界平和から始まって、個人の生活・商売繁盛・無病息災・それぞれの願いごと、往古国内の各宗各宗祖様達も、今の講長様と同じように、当洞内の神仏神仏(かみがみ)に諸人の豊楽を一心に願い修められたとか‥‥。参拝者一同感激の中に講長様の御請願が終わった。
神仏鎮まります洞内の歴史を山先達さんから聞いた。参拝者一同、人間として生まれた喜びと感謝が、今年も心あらたに蘇ったのである。
世のうらみ
身の悲しみも
神仏の光りに照らされてより
合 掌
直筆日誌その⑤
第53号(西暦1991年)
巣立ち(一)
チュン チュン チュン チチチ チチチ
チュン チュン チチチ
私達が、山籠りして住む庵のひさしに巣をかまえて、毎日、正確に、私達の日課である水垢離の時刻を教えて手伝ってくれる小鳥の声である。
私達が当庵に籠ってから、今日で四十九日目である。仏法では、この世とあの世の絶縁の日数といわれるが、小鳥君達は私達が当所に庵を構える以前からの先住者である。小鳥君達が私たちに初めて声を聞かせてくれてから、一日も欠かさず、私達に水垢離の時刻を伝えてくれるおかげで私達は一日も勤行を休むことなく続けさせて頂くことができた。みな、先住者の小鳥君のおかげであるが、今日は、朝方一度声を聞かせてくれただけで、その後は一度もさえずらない。いつもは小石の一つもぶつけてみたい程、よくさえずりよく喋る。
人里離れて、当庵に住み着いた私達には下界から天国に来たように静かで爛漫とした気分の時と、地獄に迷ったような寂しく陰気な雰囲気に包まれるような場合とがある。そのような時に、小鳥君の声は唯一の慰めであり、励ましであり、また賑わいでもある。人里離れた山中の庵においては、全てが仲間である。その仲間の声が、不意に聞こえなくなったのだから、私達一同気にせずにはいられない。
「憲和(のりかず)、小鳥の巣を覗いてみよ」、憲和の兄弟子植田多藏(うえだたぞう)先生の声がとんだ。みんな大変気にしている。
しかし、この小鳥君に対しては、未だ名前も種類も知らない。私達は、外来者としていつも声だけ聞かせてもらうだけだが、憲和も言うに及ばず、すぐ立ち上がり、小鳥君の巣を見に行く。歩いて 二・三歩のところに巣を構えている。覗きに行った憲和、突然飛び上がりながら喚く。
「ワァー、大蛇だ!」。私も多藏先生も一斉に立ち上がる。山中の庵においては、全てが仲間であるが、私たち三人はどうしても蛇にはなじみにくい。その大蛇が、小鳥の巣の中に頭を入れているのだ。
「憲和、はよう、引き出せ」
「多蔵君、早くつかみ出せ」
「棒でたたけ!」
「手袋を持って来い」
私は息もきらさず、声ばかりで二人を応援する。御両人は、蛇が苦手なのと、私の声援する声がうるさいのとで、ただうろうろするばかり。とやかくしてる間に、御両人も腹を決めてか、二人で蛇の尻尾をつかんで、小鳥の巣から蛇を引きずり出した。
※少し正直すぎるのではと思いますが、神直先生は蛇年なのに蛇が苦手のようでした。
一メートルあまりの蛇は、口に小鳥のひなをくわえ、一匹の小鳥を腹の中程で巻きつけていた。蛇を引きずり出した時、私達三人は歓声を上げたが、口にくわえられていた小鳥のひなは、すでに死んでいた。
人間なれば成人前の年頃だろうか。雨の日も風の日も、私達に時を知らせてくれながら、ひな鳥の成長と巣立ちを願って、毎日一生懸命 ひな鳥に餌を運んでいた親鳥の心中を思うとき、言葉が通じなくても吾が心と目頭に熱いものを感じた。有限と無限。生と死。弱肉強食。訳のわからないことを頭にえがきながら、蛇の残虐さに腹を立て、ひな鳥の亡骸を手に、天地創造の主の仕組んだ掟に〝嗚呼、無情〟と嘆ずる他なく、深き哀れさを感じた。
弱肉強食。人間の世界にも、これに似かよった事柄がたくさんあるが、天地の育む無差別の施しには、生も死も、喜びにも悲しみにも、同一の心を養い太平の世を願わねばならぬのであろうか。されど、ひな鳥の死は……?
悲しい中にも、弱肉強食の世の雄々しい巣立ちだったのだろうか。私達が蛇を追い払った後から、間もなく親鳥のいつものけたたましい声が、何事もなかったように、庵を囲む山中いっぱいに響き渡った。
ひな鳥の死出の巣立ちのはなむけか
囀る声は山を被いて
泣く鳥の
涙見せずに胸をはり
威勢つくろう姿哀れど
直筆日誌その⑥
第54号(西暦1991年)
巣立ち(2)
一昨日からの雨風は止むことをしらず、風は大木を揺り動かし、また、我の庵を持ち上げ揺さぶる。雨は大空一面に瀧となって地に降り注ぎ集まった。雨水は谷に寄り、わが庵に向かって集結する。大地を叩く雨の音。大木を揺り動かす風の声。谷川を駆け下る早水の轟音は我が庵の周辺を阿修羅のごとく暴れ回る。
しかし、私の日課は変わらない。いつも変わらず励まして、時を知らせてくれる小鳥君がいるからだ。小鳥君に励まされて、身に受ける白華瀧の水しぶきは、さながらナイル川の滝つ瀬(急斜面の勢いよい流れ)の如く、我に向かって渦をまく。雨の音、風の音、瀧の音。心身ともに、狂い、崩れそうな騒音の中に、チチチチ チチチチと、すべての騒音をしのぎ、私を励ましてくれた。チチチチ チチチチチチチ……
私より小さな小さな小鳥君に励まされ、今日の水垢離も無事に終わった。飛沫をあげて降り続いている雨と、瀧場一面の水かさに、流されそうになりながら庵に辿りつく。
昼過ぎになって、弟子等が私を案じて庵に尋ねて来る。雨・風の勢いは、いまだ休む所を知らず、降り・吹き荒れている。
小鳥君の声は一段と高く、チチチチチチチチ チチチチ チュン チュン チチチチ チチチチ ………、水垢離中、私を励ましてくれた声だが、今の小鳥君には何か異常を感じる。
私と、多藏君、憲和の三人三様の心も、いつしか一つとなって、小鳥君を案じ、小鳥君の声を追いかけている。
目の早い憲和は、いち早く、風に揺れ、雨霧に閉ざされた樹木と樹木との小枝の中にとまって泣き続けている小鳥君の姿を見つけた。普通なれば、我々と視線が合っただけで、すぐその場を離れる小鳥君達であるが、今日は一向にその場をかえる様子もなく、同じ小枝を、右に左に足元を確かめるように、行ったり来たりして鳴いている。
チチチチ チチチチ チュン チュン チュン チュン
鳴きさえずる小鳥に、雨風は容赦なく叩きつける。はたから見れば、哀れさを誘う場面だ。
そのうち、庵の軒端(のきば 軒の先端のこと)の巣の中から、チュンと一声発して、先程から異様な動作ばかりしていた小鳥(母鳥)の方に向かって一羽の小さな(子供の)小鳥が飛び出した。風に流されながら、必死に鳴きさえずる小鳥(母鳥)の小枝に飛びついた。それを合図のように、チュン、チュン……一羽、二羽と暴風雨の中に飛び出した。一羽、二羽、三羽、四羽……全羽揃ったようだ。あれだけ朝から鳴き続けていた小鳥(母鳥)の鳴き声は、ぴったりと止まった。
風は容赦なく小鳥達に迫り、雨は情けなく小鳥達に叩きつけているが、小枝により集まった小鳥達の姿には、何か偉大なる喜びを得たごとくに見える。
朝から鳴きさえずっていた小鳥は、母鳥なのか、チュン チュンチュン チュン チュン。後から飛んできた小鳥達一羽一羽に声をかけ、くちばしで頭の部分、胸の部分をなでさすっているかのように見える。人間なれば、親が子を褒めそやしたり、励ましたりの光景だろうか。一羽一羽の小鳥にその仕草が終わると、親鳥は小鳥達に一声高くチュンとさえずり、暴風雨の中に飛び去って行った。
残された小鳥達も、チュン チュンと一声ずつ残しながら、西に東に、雨に叩かれ風に流されながら飛び去って行った。雨風はますます猛り狂い、暴風雨となって小鳥の後を追いかけて行った。
昨日までの暴風雨はどこへやら、青天の霹靂の日本晴れ。しかし、私の庵に同居していた小鳥の親子の姿は、また規則正しく私に時間を伝え励ましてくれたさえずりの声は、再び聞くことができなかった。
人の世で例えれば、昨日の小鳥君達の諸行は成人式に当たる日だったのだろうか。それにしても、大自然を背景に、巣立ち行く小鳥君達の成人式、なんと荘厳且つ厳粛な儀式だろうか。
大自然に育まれた自然のままの、生物の巣立ちは、神秘と言おうか、神聖と申そうか、その神々しさは、私達行者の十戒の修業にも勝りて、我が朝夕の水垢離の気負いに、恥しさが増した。
たくましく生きるるために 涙せず
吾が子にしめす 天の掟を
生きとして生きるる者の 幸福は
天の掟に そうる躾を
合 掌