来し方を顧みて
矢崎幸男 第256号(西暦2025年)
私のある友人は、毎年あるお寺さんの大祭に、スタッフとして参加して、駐車場の整理をしております。そのお寺さんから、「何番の駐車位置に止めて下さい」と言うだけにとどめ、決して「バックオーライ」「ハンドルを右に切って」というような具体的な誘導はしないようにと言われているそうです。もし、接触事故などがあった場合にそのお寺さんの責任になってしまうというのが理由です。彼はそれが当たり前で、正しいと考えているようでした。わたしは、この話を聞いたとき、色々な考え方があっても良い問題なので反論しませんでしたが、すこし違和感を覚えました。
蛇之倉七尾山では、駐車位置を伝えるどころか、必要ならばその場所にまでついて行って誘導いたします。大祭時などには、鍵を預かっておいて、保安部の先生がその車を直接運転して、駐車位置の入れ替えまでいたします。このようなリスクを考えない対応には、教祖先生の信徒信者および役員に接する基本的な姿勢が反映されているように思われます。どのような姿勢か、具体的に考えてまいりましょう。
①コロナ以前は、毎年護摩と施真の研修会が開かれておりましたが、研修生の中には、「この方に蛇之倉七尾山の看板を背負わせて(修了証書には御山の名前が入っております)、後々お山が窮地に立たされないのかな」という危惧を抱いてしまうような方もおられます。
あるとき、神直先生にその旨を申し上げたところ次の様なお言葉が返ってまいりました。「その方が、やろうという意志がある以上、その意志に応えてあげたい。少しでも、その方の修業になるなら、それでいいじゃないの」「何か起きたときのことばかり考えて、最初から何もしなければ何も生まれん」とのことでした。
②ある役員さんが刑務所に入っていた時、二・三の役員さんは「○○さんを蛇之倉山の役員から外して下さい」と神直先生に進言いたしました。その時、先生はこのように申されました。
「今、○○さんを追い出してしまったら、(刑務所から)帰って来たときに叱ることも、諭してあげることも出来ない。だから、僕は○○さんを役員から外しません」。
③山梨県北巨摩郡の白倉近三さんは、お医者さんから肝臓癌を告知され「すぐに手術しましょう」と言われたそうです。その時、神直先生にお伺いを立てたところ、「たしかに肝臓癌ですが、今切られたら広い範囲で臓器を取られてしまうから、手術を出来るだけ遅らせて下さい。今のお医者さんからは、嘘を言ってでも逃げて来るように」と言われ、加えて「ユキノシタの青汁を飲んだり、施真を受けて患部を小さくしてから手術を受けるように」と教えられたそうです。※①
白倉さんは教祖先生とその験力をよく知っておりましたので、指示された通りにいたしました。白倉さんは、病院を転々として時間を稼ぎ、その間にユキノシタの青汁を飲んだり、施真を受けたり、お祈りしたりして患部を小さくし、「すぐに手術しましょう」と言われた時からすると、ほぼ一年経過した後に手術を受けました。結果、近三さんは、術後十年生き延びることができました。※②
※①先生には、病人さんの住所と生年月日を電話でお伝えするだけで、直接その方を診察しなくとも、験力をもって上記のように返答することが可能でした。
※②かように、常識では考えられない出来事が過去の『まことのこころ』には、数多く載っております。
万が一、白倉さんが病院を転々として時間稼ぎをしている間にお亡くなりになっていたらどうでしょう。「神直先生が手術を遅らせろと言うから、その通りにして、適切な時期を逃してしまった」と叱責されても言い返すことが出来ません(それで済めばよい方です)。
何年か後、白倉さんがお元気であることを人づてに聞いた、例のお医者さんは「白倉さんがまだ生きてるって!もうとっくに死んでいると思ってました」と、言われたそうです。
このように人の生き死にがかかった事例に於いて、一度でもその験力に狂いが生ずれば、先生は教祖としての信用も、ひいては蛇之倉七尾山の名前にも傷が付きかねません。
以上のように、先生は縁あった方に対し、リスクの計算などせず、接して下さいました。些細なことですが、本山に来られた方に「お帰りなさい」と挨拶したり、わざわざ門迎門送をされていたことからも、先生は縁あった方々をご自分の身内の延長のように遇しておられたと言っても過言ではないでしょう。
先生ほどの験力はなくとも、「お帰りなさい」や門迎門送なら我々にもできます。「オーライ、オーライ」と、車を誘導して差し上げることが、先生が開かれた蛇之倉山の在り方なんだろうと思われます。
「今の人間はみんな疲れている。信じられるものもなく、殺伐とした世の中で、神経をすり減らしている。ぼくは、みんながやすらげる、そういった場所を創ってやりたい」は、生前の神直先生の御言葉です。 合 掌