神直先生の法話 祈り
第124号(西暦2003年)
私の法話と申しますのは毎年同じことでございます。今日この場において行者と共にお祈り下さいました皆様の念力をもって、お家の神仏にも捧げて頂きたいと思います。この場だけ神様仏様が宿って下さるものではございません。日常皆様方のお家においてこそ、本当の神様も仏様もおいで下さっているのでございます。
本当の祈りとは皆様一人一人の心なる祈りでございます。幸福を願うのも、一家一同が健康で暮らせるのもまず、皆様方のお家の中に先祖代々が祀って下さった神様、また仏壇の中のご先祖の御霊、これらが直接皆様方を守って下さっておられるのでございます。各宗教の教祖様に、役員様にお願いしたからといって、真の喜び、真の幸せは来るものではございません。祈ったところで何にもならないと思われる方もおられると思います。しかしそういう方々は本当の神様仏様の働きを知らないからでございます。
行者は人を選びません。行者はまた信者を扱いません。ある宗教者の方にお聞きしますと、「信者を集めるのは金を集めるのと同じじゃ、信者なくして宗教は成り立たんのじゃ」と言ってるような方もおります。「何でもかんでもご利益があるんじゃと言って信者を集めたら、お賽銭が上がるんじゃ。寄付が上がるんじゃ。これが宗教の金儲けじゃ」、という。
昭和46年にこの山(大峰蛇之倉七尾山北陸別格本山)が開かれましてからずっと私は皆様方に同じような話をしております。金や物じゃない、皆様方の心じゃと。どうぞ心から神様に平和を願って下さい。そして幸せをつかんで下さいと、私は叫び続けております。
祈りを知らない方はア・ウンでよろしいんです。少し祈りの知っている方は南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経でよろしいんです。宗教者の中においては南無阿弥陀仏なんか何にもならないんじゃ、南無妙法蓮華経が正しいんじゃ、また、南無妙法蓮華経なんかどうでもいいんじゃ、南無阿弥陀仏が正しいんじゃ、と言っている方がおります。しかしこれは自分の宗教を売り出して信者を作る為の一つの手立てでございます。神様も仏様も真に祈る人の心に、お前の経文が悪い、お前の唱え方が悪いという神も仏もございません。真心を持って唱えて頂けば、それに応じて神仏様が動いてくれます。
しかし、ちょっと神様に御利益をもらいたいということで祈るような祈りには神様仏様は力を貸してくれません。九死に一生という言葉がございます。本当に苦しい時に願うその言葉、これが全ての生きた人間の心も、なくなった仏様の魂をも動かす叫びでございます。だから九死に一生を持った真剣な心を持って、毎日お願いして頂きたいと思います。そしてただ自分の幸せのための御利益を願うのではなくて、自分のことより先ずあの世に行かれたご先祖の魂を癒すように祈って欲しいのです。生あるものは必ず死す、形ある者は必ず滅するという諺がございます。これが全ての者の宿命でございます。いずれ自分も鬼籍に入るのですから、そのとき祈ってもらえるように祈って欲しいのです。
年を取るといつかは祈りを口ずさむようになります。その祈りを真剣に覚えて真剣に唱えたら、あの世もこの世も困ることはございません。だからご利益本位に祈るよりも、真に一家一族が幸せであるように、一家一族の幸せが全ての者の幸せにつながるように祈ってほしいと思います。
祈りの中には体裁も見栄もございません。馬鹿くさいとか、やっても無駄じゃというような気持ちを持たずして祈って頂きたいと思います。
毎年毎年、私は祈れ祈れと申しますが、本当の祈りは幸せを生むのです。本当の幸せを得るには本当の祈りより他にございません。神様にどのようにお祈りしたら良いのか、祈り方が分らなかったら、今覚えている経文、南無阿弥陀仏または南無妙法蓮華経、これでいいんです。たくさんの経文を覚える必要がございません。他人様よりそんな経文なんか駄目じゃ、うちのこの経文を唱えなさい、と言って折角先祖が教えてくれた経文を捨てたりしたような状態では、神様仏様は聞いてはくれません。
また、ご先祖が一生懸命念仏を唱えて祀った仏様を、こんなものは駄目だからと言って、今度は別の方の仏様を祀ったからといっても決してご利益はありません。先祖代々的に祀っていた仏様を一生懸命お祭りし、どうぞ私を守って下さい、一家を守って下さい、そして私に人間としての道を教えて下さい、という気持ちを持って祈れば必ずその家は栄えていきます。
今、世の中に皆さんは、あそこの家はあれだけ一生懸命に働いているのにうまくいかんな、という家庭を見たことがあると思います。それは何か、ご先祖を捨てるから、お墓をそのまま捨てるからなんです。仏像とか、お位牌とか、またお墓というものは魂の宿り木、止まり木です。その止まり木を捨ててしまいますと、ご先祖もご先祖代々の古い御仏も帰ることができないんです。するとその家は神様も仏様も宿ってはくれません。神様も仏様も宿ってくれなかったら悪魔が住み着くだけのこと。そのような家は大きな事故があるか、持っていた財産が一度になくなるか、そのような不幸が見舞っています。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と二三巻唱えて、ああ神様仏様守って下さい、と言ったって駄目なんですよ。本当にご利益が欲しければ、今日ここで唱えた時間がな我が家で一生懸命唱えてみて下さい。必ず何かの異変があります。ご利益があります。やらずしてものを得ることはできません。神様に対してご利益をもらおうと思えば、神様仏様に好かれるようなことをやってみること。古いお位牌であっても一生懸命に祀り一生懸命に供養して下さい。さすれば良くなります。真実なればこそ皆さん方に厳しいことを言うのです。祈らずしては神様も仏様も決して好いてはくれません。
こうして集まって頂いて、行者が焚くこの護摩に一生懸命に合掌して下さったところに、皆さん方には信仰が生まれているのでございます。その信仰心をもって今度はお家に帰って祈ること。心を落ち着けて、どうぞ神様守って下さい、ご先祖さんお願いします、と言って唱えて下さい。
今、世界は平和をとなえながら大きな戦が起ころうとしております。神様に向かって少しでも多くの人が真に祈る気持ちを持てば、戦争が起こらなくて済むと思います。家に帰っても一生懸命に祈って下さい。世界の平和のためにも、一家のためにも祈ってほしいと思います。皆さん方の幸せを念じてこのように祈りのことばかり申し上げます。祈ることが一番幸せを生むこと、それを覚えて頂きたいと思います。
神直先生の法話 祈り
第244号(2023年)
神仏(かみ)は、「祈りとは万物を養うエネルギーの根源である」ということを、早くから聖者方を通じて教えて下さっております。人間はその教えを忘れて、やれ科学だ文明だと叫び、神仏からの使命を忘れております。それが、今の世の姿です。
今の世は神仏の仕立てた地獄列車のようなものです。現在(西暦2023年)のような世の中が来るということは、20年も30年も前に、神仏から告げられており、私は、皆様に祈ることを教え伝えてまいりました。しかし、もう時はすでに遅く、今後ますますひねくれた無意味な世の中になっていきます。世の中に祈りがないが故に、地球が空回りしているのです。皆様には、この地獄列車に乗らないように自分のためにも祈ってほしいと思います。これからの世の中は、真に祈りのある者のみが生かされます。心を籠めて経文を唱えることこそ、この世の中を調和させる言霊という念力をつくりあげる業です。
現代の方々から、「死んだら終いじゃ」という言葉をよく聞きます。その度に私は怒りを感じます。
死んで成仏できない、死んで行くところもない、そういう方々が死んで初めてあの世の仕組みを分かって、この世に色々な注文をしているのです。あの世は鎮まっておりません。「死んだら終いじゃ」という観念があの世の住人に苦しみを与えています。その苦しみを救わないことには、この世の中に本当の平和は決してまいりません。
皆様は「祈りって何だ!?」と思われる方が多いと思いますが、この祈りがなかったらあの世の中に、素直に成仏できないのです。人々は、(祈りの借金という)因縁・因果の中に苦しまされることを忘れてしまっております。
今は、平和という言葉の中に人の心は乱れております。その乱れを直すこともできずに、天に向かって唾を吐く人ばかりの世の中になってきています。だから文明とか科学は栄えても、(先祖たちの訴えを受けて)人の心が安定しないがゆえに、現在は苦しみが生じているのです。
今は、この世の中は大自然の浄化作用の中に置かれております。この作用は、人間でいう善とか悪とかと関係なく、生きている人間の責任としてとらされるのです。
祈りは、人間を差別せず、神仏に力をいただく唯一の力です。どんな祈りでも構いません。今、地球を救えるのは真の祈力です。宗教の
大きさではありません。一人であっても一生懸命に経文を唱える者のみ御利益を頂けるのです。神仏を動かそうとするなら、心を籠めて長く長く祈ってみること、考えを変えることなしに一筋にやっていただきたいと思います。さすれば、世の中も皆様一人一人も幸せになると思います。今の人達は、神仏を口に出しても、真に祈る気持ちがないということです。
宗教に入っているから、信仰しているからといって決して願いが叶うものではありません。神様仏様をうごかそうとするならば、自分の命をかけてでも、人間としての本分を達成するという気持ちを持って祈って欲しいと思います。
神直先生の法話 祈り
第246号(2023年)
今は、成仏できない仏霊が多すぎるんです。仏霊と言いますと、亡くなった仏様の魂ですね。なぜかと言いますと、今の人間界は、科学・文明というものにとらわれて「供養」を忘れてしまっているからです。目には見えないから、先祖がいることを忘れてしまっているんです。だから、「祈らなくてもいい」「祈りで何が成仏できるんだ」と、鼻であしらってしまいます。そのような状態で、あの世に行くときには、いわば身内から切り捨てられて始末されてしまうのと同じです。それが、怨念となって現在来ているのです。
皆様方が毎日するお祈りは、目には見えないが、御先祖様には大いなる力が加わるのです。毎日祈って下さっているお家の方は、先祖が成仏されていると思って良いと思います。しかし、いろいろな理由にかこつけて、祈っておられないお家の仏様は、行く所に行けないで困っていると思います。
亡くなった方には、祈りより他にはないのです。あの世に行った方々にとって、呼びかけてくれるのは、自分の身内以外にないのです。その身内の者が声をかけてくれなかったら本当に寂しい思いがつのっていくのです。それを慰めるのが祈りです。必ず、一日に一巻でもいい、亡くなられた方のお名前(戒名・法名)を呼びながら祈ってあげて頂きたいと思います。精魂込めて祈ってほしいと、切に願います。