あれやこれや。神仏との出逢い 
樋川恵真

 現在の「やすらぎの宮」の前身であります甲斐祈力道場発足の道場開きが、故矢崎眞意先生の自宅で行われた時のことです。「奈良から偉い先生が来るんだって!何でも分かるし、目には見えないものも見えて、めったに会える先生ではないそうだよ」と知人に誘われて 何もわからずに出かけました。

 部屋の中は満員の人で、外ではハッピ姿の人が、みんなの荷物を運んだり、靴を揃えたり、ニコニコしながら案内をしている人がいました。初めての私は後ろに座って、どんなことをするのかナ。いつ立派な先生が現れるのかナ、と固まっていたのです。神事終了後に「教祖先生のお話がございます」との言葉に前を見ると、先ほどより笑顔で荷物を運んで下さっていた人でした。これが教祖山口神直先生と初めてお会いした時のお姿でした。驚愕の一瞬でした。自分の中では偉い人とは御簾(みす)の中か、雲の上の人でこんなに近くでお話しを聞けたり、ましてや荷物を運ぶなんて……驚天動地(きょうてんどうち)の出来事でした。
 恐れ入りながら聞き入ったお話は、「お家にお父さんお母さんがいるように、神様はお父さん仏様はお母さんとして、神と仏を祀るように…。神様に優劣をつけず、どこの神様でも道端の小さな石像にも手を合わせて下さい。またどんな経文もありがたいものですから、難しい経文でなくても先祖が唱えていた経文でよろしいですから一生懸命唱えて下さい。私達は行者です。行者とは行う者です。理屈ではありません」と無知な私にも一言一言が新鮮でよく納得出来て目からウロコでした。

 終わっても、その場を立ち去り難くて最後までお見送りしたのを思い出します。こうして神直先生とのご縁ができ、以来、何十年とご縁が続いております。

 以前は、本山でも甲斐やすらぎの宮でも奉仕作業(道なおしなどの土方作業、宿泊所つくりなどの建築作業等)が多かったです。そんな時には、神直先生、奥様先生は先頭に立たれ、作業中にも何かと教えがありました。各地の役員さんも駆けつけ、自分達の手で物が完成する喜びと神仏様のもとで神直先生とご一緒に働けることが幸せでした。

 そんな数多くの経験の中に摩訶不思議なこともありました。それは本山での奥之院広場の拡張工事の時のことでした。当時の御瀧場にはプレハブの小屋があり、そこに何日間か泊まり込んでの工事でした。工事をする方々(教祖先生、奥様先生、道場生3・4人)は、御瀧場の小屋から奥之院へと通われ、眞意先生と私は、小屋に残り、炊事と風呂係を担当しました。石でかまどを作り、風呂はドラム缶でした。  

 山の中の夜は本当の暗闇で、小屋から150mほど下ったところにあるトイレの裸電球がぼーっとかすんでいるだけ。昼の疲れで男性の人は鼾をかいています。私も寝ようとして布団の上に座った時のこと、入り口のサッシ戸越しに真っ赤な火の玉の行列が通り過ぎて、エッ、アレ何?キツネ火か?と側の眞意先生に、「見て!」と、その時はもう通り過ぎていて慌てて外に出て見た時は何も見えなく?? それはサッカーボールくらいの玉が真ん中で、上下にはテニスボールくらいの玉が幾つも並んで、中の玉を囲むようにして進んで行ったのですが…。  

 よく考えてみると、入り口の戸は腰の部分は板張りで、カーテンも閉められていたのに、オレンジ色に燃えるような、それは明るい行列がはっきり見えて本当に不思議なものでした。後で聞いた話ですが白玉大明神様(しらたまだいみょうじんさま)が奥之院から下まで工事の後を見回って下さったのではないか、とのことでした。本山の参道の入り口にお祀りしてある白玉大明神様は奥之院までの参道をいつも守護してくださっているのだそうです。目には見えなくても常に神々のお導きがあって日々の安全があるのだと思います。神仏のお山での不思議な体験でした。




教祖先生との出会い、そして祈り
 
京都市 川島朝子 200(2016)

 ある日、娘から「お母さん、蛇之倉のお山に行かない?」と誘われましたが、私は興味もなかったので「行かない」とそっけない返事をしました。二回目に誘われた時も同じでした。けれども、「お山には仙人さんみたいな人がいるよ」という娘の一言。「えっ、その人って、鬚を生やした小柄な人?」と、私。「うん、小柄でやさしそうなおじいさんやで」と、娘が言いました。私は何年か前に夢に出て来た人と一緒の人かどうかたしかめたくなり、三回目に誘ってもらった時に連れて行ってもらうことにしました。

 山に着くと、ニコニコしながら私達を優しく出迎えてくださった教祖先生を見て、おもわず、夢で逢った人はこの人かもしれない、と思いました。早速、教祖先生に夢の話をさせてもらったら、「わしはどこでも出かけるから出逢っておるかもしれないですなぁ。以前、何人かの人から、どこかでお会いしていませんか?と言われたことがあったよ」と言われました。そして、いろんな話をしました。その時、先生の代弁で、ある先生から般若心経を一日百巻祈りなさいと言われ、その時にはすかさず「無理です。できません」と言ってしまいましたが、いつの間にか一日百巻祈っている自分がいました。
 無我夢中でした。というのも、当時、生きていくことにすごく疲れ果てていました。何をやってもうまくいかず、生きるって何だろう、なんてつらいのだろう 、〝生老病死〟生きる苦しみ、老いていく苦しみ、病気になる苦しみ、死を迎える苦しみ。世の中ままならぬことがいっぱいでした。自分の思いどおりにいかない事を嫌という程思い知りました。その当時、「何かにすがりたい、すがって生きたい」という思いがあり、「そうだ、この先生についていこう」と何となく思いました。「ひょっとして何か変わるかなあ、変えてみたい」と思いました。毎日、お祈りをすること。先祖供養の大切さ、水子供養の大切さを教祖先生から教えていただきました。

 最初にお山とのご縁を持ったのは主人でした。当時72才、主人は全く無関心で、山に誘われても「行かへん」とそっけない返事ばかり。ある日、身内から山にご奉仕に行くことを勧められ、「何でわしが行かなあかんのや」と言っていたのに、いつのまにか私より先に、お山にお世話になることになっているではありませんか。「あんた、山に行くならせめて般若心経ぐらい覚えなあかんで」と言ったら、毎晩と言っていいほど、ベッドの中で大きな声で練習していた光景が目に浮かんできます。
 そんな主人は、平成2411月にお山に行きました。4・5日経った頃、「いつ迎えに来るんや」、と私に電話してきました。何もわからず寒いお山、さぞかし心さみしかったのでしょう。家に帰ってきて、「ご苦労様、寒かったやろう」と労をねぎらうと、主人は「ちっとも寒くなかったよ、お山の人達が良くして下さり、心暖かで、寒さを感じなかった」と言っていました。そして翌年陽明門のお手伝いもさせていただきました。

 私は平成26年の7月に、「手伝いに行こう、何が出来るか分からないが精一杯働こう」と心に誓い、山に行きました。早朝5時、本堂に行き掃除をし、6時から拝神。静まり返った本堂の中、法螺貝、太鼓の音がお腹の底に響きます。そして般若心経の力強い祈り声。私は拝神後の教祖先生のお話を聞くのが何よりも楽しみです。たまにそのお話の内容に、「これって、私の今の気持ちを言っているのかしら」と思うことがあり、他の人も同じようで、今悩んでいることが分かるかのようにお話をされる教祖先生、怖いよねとみんなで話すこともありました。 

 お山での生活にも少しは慣れてきましたが、なかなか人間関係が難しい人もいます。皆、生身の人間、いろんな人がいてあたりまえと自分に言い聞かせて、すべて自分の修行なんだと思っています。お山は毎日参拝者で賑わっています。私達は食事のお世話です。そんな中、私にとっては初めての行者祭りがやってきました。全国から、大勢の信者さん達が来られています。百数十人の食事の準備、弁当作り、もくもくと手を動かし必死でお世話をしました。けれどもう少し笑いがあれば楽しく食事の準備もできたのになあと思うのは私だけかしら。 

 行者祭りも終り本当に忙しい日々でした。私の体も限界かしら、足はパンパン、膝は痛いわ、腰は痛いわ、ああしんどい。でも「お世話になりました。本当によく働いてくれました」とのお言葉をいただき、疲れも吹っとびました。お山で生活している人達は毎日のこと。いやな顔一つもしないで、いつもニコニコしているのに感心です。頭が下がりました。

 そしてまた翌年27年、4月に開山の準備手伝いにお山に来ました。なぜか足が向かうのです。家にいてもお山が気になって仕方ありません。なぜだろう。奥之院の参道掃除にも参加しました。123人が二手に分かれて、落ち葉掃除、道中、神々様のまわり、階段のすみずみまで。これで皆様に気持ちよく山に登っていただける。そんな気持ちになりました。一緒に掃除した皆様お疲れ様でした。
 山開きになりお山に来る人達が後をたちません。皆、生き生きしています。神様、まだ一年間よろしくお願いします、という声が聞こえてきそうです。

 そして私の2回目の行者祭り。「今回の行者祭りは本堂で一心に祈りなさい。今、一番大事なのは祈りである」、と神直先生のお言葉です。前夜祭、夜6時からのお祈りです。本堂はみんなの力強い般若心経が響いています。自由参加です。祈っている人たちの顔は皆真剣。子供のこと、孫のこと、今生かさせて頂いていることに感謝しながら、私も一生懸命祈りました。そして、世界平和、皆の幸せを祈りました。何時間くらい祈ったでしょう。時折睡魔におそわれた時もありました。しかし、錫杖のシャンシャンという音と私の唱える心経がコラボして酔いしれている自分に驚きました。今祈っているこの場所、この時間に本当に幸せを感じ、いい体験をさせて頂きました。15時間にも及ぶ祈力行でした。世上を救い、心身を救えるのは祈りしかないという教祖先生のお話しです。世の為、人の為に少しはお役に立てたかなぁ。

 翌日、神直先生は、帰途につかれる皆様一人一人に握手され、笑顔で見送られるお顔が印象的でした。

〇自分が行けば皆がほほえんでくれるような自分を作る。

〇自分を一番下に、一番下にした時、全ての者が心を開いてくれる。

〇自分の願い事だけ頼んでも神仏にはお聞きいただけません。自分を犠牲にしても、他の者の為に、万物万象の為に祈れるようになって初めて神仏は御力を貸して下さる。

 こういうお言葉に一歩でも近づけられる様に努力してまいります。神直先生、いつまでも健康でお過ごし下さい。今年もお世話になります。 合 掌