先祖供養
□「身内の祈り」神直先生の法話
今は、成仏できない仏霊が多すぎるんです。仏霊と言いますと、亡くなった仏様の魂ですね。なぜかと言いますと、今の人間界は、科学・文明というものにとらわれて「供養」を忘れてしまっているからです。目には見えないから、先祖がいることを忘れてしまっているんですね。だから、「祈らなくてもいい」「祈りで何が成仏できるんだ」と。皆、鼻であしらってしまいます。そのような状態で、あの世に行く時には、いわば身内から切り捨てられて始末されてしまうのと同じです。それが、怨念となって現在きているのです。
皆様方が毎日するお祈りは、目には見えないが、御先祖様には大いなる力が加わるのです。毎日祈って下さっているお家の方は、先祖が成仏されていると思って良いと思います。しかし、いろいろな理由にかこつけて、祈っておられないお家の仏様は、行く所に行けないで困っていると思います。
亡くなった方には、祈りより他にはないのです。あの世に行った方々にとって、呼びかけてくれるのは、自分の身内以外にないのです。その身内の者が声をかけてくれなかったら本当に寂しい思いが募っていくのです。それを慰めるのが祈りです。必ず、一日に一巻でもいい、亡くなられた方のお名前(戒名・法名)を呼びながら祈ってあげて頂きたいと思います。精魂込めて祈ってほしいと切に願います。
※ご家庭における先祖供養の方法については、水子供養(水子供養の略式手順)をご覧ください。
先祖供養
成仏が遅れている御先祖のほとんどは「此の世でやり残した責務をあの世でも果たせていないこと」が原因です。では、そもそも人が此の世に対し負っている責務とはなんでしようか。
人は、一呼吸の空気・コップ一杯の水すら、創り出すことが出来ません。それどころか、人は、木や草や動物の生命を頂いて自身の生命をつないでおります。これら万物万精(象ではない)にお返しをすること、それが我々の負っている責務です。
この責務を果たす方法の最たるものが「祈り」です。大元霊が、宇宙を創造される際に用いられたのが他ならぬ御言葉です。また、その大元霊の愛し子が我々人間です。人間の発する思いが、言葉によって集中されたとき、我々の考えをはるかに超える力が生じます。人間が正しく祈れば、万物万精に対する偉大なる育みとなります。
残念ながら、今に生きる多くの方は、祈りにそのような力が有るとも、祈りが責務だとも思っておられません。したがって、ほとんどの方は、この責務を果たさないまま死を迎えてしまいます。結果、多くの御先祖方は祈りの不足が原因で成仏が遅れております。
御先祖の責務である以上、御先祖一人があの世で祈ればそれで良さそうなものですが、そういう訳にはまいりません。なぜならば、祈りは此の世での義務であるため、あの世では果たせないからです。Aという旅館での清算をBという旅館で出来ないのと同じです。しかしながら、現在生きている縁故者が祈るとき、御先祖方はその祈りの中に自らの心を捧げることが出来、結果として、生前の祈りの義務を果たすことが可能となります。
たしかに、季節ごとのお寺さんの手による御供養も大切です。しかし、多くの方はそれだけの祈りでは徹底的に不足です。残された者自らの手で日々祈りを積み重ねて下さい。御先祖のご苦労なくして今の我々は有りません。「先祖のためにやってあげる」というのではなく、「恩を少しでも返させていただく」という気持ちでお祈り下さい。 合 掌
□神直先生のお話を思い出しました
福井県 女性
以前、本山の日光地蔵様の前で、先生が道場生達にお話し下さいました。
「いつか人は死ぬ。死んだらみんな霧の中に入るの。その霧から脱出するには経文を唱えられないと出れないの。人が死んだら、『枕経』っていうのをお坊さんが唱えるわな。そのお経は死んだ方に、『 あなたは死にましたよ 』というのを分からせる為のお経なの。生きている時に一生懸命に経文を唱えていた人は、『あー、私は死んだんだな』とすぐに分かって現世界から霊界へ行くの。でも、生前中に何もしなくて、お金や自分の名誉、栄耀栄華に走った方は現世界に未練が一杯で、自分が死んだと分からないし、経文も聞こえないの。それから何十年何百年ってのたうちまわるんやな。死んだら霊界に行くまで一寸先も見えない霧の中を歩くの。子孫からの経文、お祈りの声は聞こえても、自分が生前中に祈りをしたことがない人は、ただ知らない言葉にしか聞こえないの。だからみんなそういう霧の中にいて苦しんでいる御先祖様や水子さんに御供養して経文を唱えなければならないの。神仏さんから 三十五万巻(般若心経)、生前中に祈りを返しなさいと言われていても、ほとんどの人が返さないまま死んでしまうの。祈りは神さんに払う税金みたいなものやな。だからそれが祈りの借金となるんやな。その祈りの借金が、子に孫にとふりかかってくるんだよ。だから今は時間があったら祈りなさい。経文を何百巻と唱えていると、やっと般若心経が心で覚えられるの。それが心で覚えられた時、真の祈りとなる」、そうお話し下さいました。
死んだらおしまいと思っておられる方も多いと思いますが、死後のことを死後の世界からもどって来られて教えて下さる方はいらっしゃいません。神直先生のこのお話しが、皆様にもひびいて下さればと思い投稿いたしました。
世界各地、日本国内でも毎日色々な事が起きておりますが、どうか一日でも平和な世の中が長く続きますようにと願ってやみません。
今際の念仏 誰も唱える
〇意味 臨終の時には誰もが念仏を唱えて仏にすがるが、ふだんの健康な時には、なかなか信心、念仏しないものである。
□祈 り 甲府市 女性
愛する者を失ったのは三年前の五月だった。人に会うことも人と話すことも煩わしく自分ばかりが不幸に思えた。そんなとき、自分の心をなぐさめてくれたのが、般若心経であった。
失った者への悔いは消えないが、いつしか唱えていると、それが感謝の心に変わっていた。先生の御教えの中に、祈る事によって、一日生かされた事に感謝し、精いっぱい、世のため、人のために生きようと思うようになりました。