神仏への祈り(万物万精を育む祈り)
□祈りは「繋がる道」 御教所
祈りは、「意練り」である。「意」とは「胃」すなわち「腹」のことである。つまり、祈りは「腹を練る」ことである。祈りによって自分の信念を作ることである。
御霊示に「読経とは繋がり」「繋がる道」とあります。すなわち、祈ることによりまず自分の意を練り、和の根源を作ります。そして、祈ることによって、御先祖とつながり、家系の諸霊とつながり、大自然とつながり、神仏とつながっていく。この意をよく悟り、腹の底から、般若心経などの経文を唱え、祈力行を実践すれば、祈りの有難さが分かってくるはずです。
腹の底から経文を唱えていると、心肺機能が良くなり、そして全身が健全になるという効果もある。白仙大神様によれば、「感冒」にかかった時など、「鎮魂祈力の香行※を一週間ほど行えば、祈りの力により、大自然界のエネルギーをいただき気力が充実して元気になる」とあります。
祈りは、経文を御神仏様のためにあげるのではなく、まず自分の信念を磨くために実践するということを忘れないで、日々積み重ねたいものです。
※鎮魂祈力
顕彰妙法 不動通力 けんしょうみょうほう ふどうつうりき
・外縛印を、へそのあたりにあてて唱える
※香行 線香を一本立て、それが消えるまで祈る行。
□祈りは神佛にささげるものにあらず。
我々は昼動きて夜休み、又朝昼晩と三度の食事を取って肉体を養う為の糧とする。これと同じく、心の霊を養う為には、祈りという糧が必要である。 宗務部
□祈りとともに人生を歩む
仙台市 佐藤智昭 第217号 2018年
蛇之倉七尾山にご縁をいただきまして早一年が過ぎました。いつも心温かく迎えてくださる皆様には感謝してやみません。
さて、私の職業はカウンセラーと申しまして、こころ悩む方々の相談を受ける≪カウンセリング≫という仕事をしております。カウンセリング・カウンセラーと横文字が並び、何とも悩み多き現代社会を象徴するような仕事ではありますが、人様の相談を受けるというからには、いらっしゃる方に少しでも元気になっていただくべく一期一会のこころで臨んでおります。
そして、そのように常に人々と真剣に向き合っていると、ふとした瞬間に「蛇之倉山に行きたい …」という思いがこみ上げてくるのです。お山での時間は拙いながらもご奉仕に精を出し、道場で祈っていると私のこころは休まり活力が湧いてくる。なんとも満ち足りた時なのです。
この一年、私が祈りとともに人生を歩むようになってからというもの、私の心は日に日にしっかりと定まっていくのを感じております。その心は柔らかいが、しなやか。台風が来ようと柔軟にいなし、決して倒れることもない。根がしっかりと伸び支えている。祈りは私の根であり幹に通った芯であると感じております。お山でリフレッシュし、また日常へ戻る。最近の生活はこの繰り返しになっています。
少しばかり昔話をしますと、私は感情的で、自分の思ったことは絶対に正しいと思い込むなんとも迷惑な性格でした。思い返せば本当に恥ずかしく、若気の至りというには情けない話です。僭越ながらよく言えば一本気。そんな私は、人の人生に関わる仕事に誇りを持ち真剣に仕事に向かっている時にあることを知りました。それは「自分を知り自分と上手に付き合うこと。まずは自分が満たされてなければ相談に来た方が幸せに生きることを手伝うことなどできない」というものでした。
「これは!」と思ったことには真っ直ぐな性格が幸いし、一念発起し自分を知ることを始めました。しかしその結果、自分がいかに満たされていない、偏った考えの持ち主であるかに気づき衝撃を受けたのです。自分の正しさが何より一番と考えることはカウンセラーとして致命的です。自分が正しいのですから相手の話を聞くことなどありえず、私の言うとおりにしていれば良いという考えになってしまいます。決してカウンセラーの意見を押し付けるのではなく、相談される方が自ら自分の心の力を発揮し、幸せへの一歩をあゆんで行く姿を見守る。この仕事の本来あるべき姿、その醍醐味に気づいたとき私はそっと相手の幸せを祈るような気持ちを初めて持つことができたのです。
カウンセリングの相手は人であり、その人のこころです。そして、心は目には見えなくとも確かに伝えることも感じることもできる。そんな気づきを得た中でお山に来た私は、まず初めに祈りは人として生きていく中で大切な仕事であると知りました。
御山の方々が祈る真摯な姿に心打たれた私は、日々の生活の中で祈りとともに自分の仕事に邁進するようになりました。そうしますと不思議なことに、毎日生きている、おいしくご飯が食べられる、安心して眠ることができる、朝日を見てきれいだなと感じる、夕日を見ながら今日も頑張ったなぁと感慨にふける、という何とも幸せな気持ちで満たされた自分がいることに気づいたのです。
この仕事について早二十年。ありがたいことに個人の私の充実と比例して、以前にも増してたくさんの方々に出会う機会をいただいております。はじめはがむしゃらに突っ走るだけのやり方でしたが、新たな気づきを得て、微力ながらも悩める方々が幸せに向かう瞬間にこんなにも立ち会わせていただけるのは望外な喜びです。これの全ては神様仏様に見守られていると感じ、日々感謝するばかりです。感情的で押しつけがましい人間だった私は幸運なことに、神仏に祈り、日々の幸せに感謝できるようになりました。祈りとともに、人を思い、これからもこの仕事に一生懸命に励んでいきたいと思います。
□夫婦でお参りしています
仙台市 佐藤有里 第218号 2019年
春の芽吹きとまだ肌寒さの残る戸開け(五月)、明け方の川の水の冷たさと昼間の日差しの暑さを感じた行者祭り(八月)、台風が過ぎ秋めいてきた空の下での戸閉め(九月)。いつも迎えて下さるお山の皆様の温かい心遣いに感謝しております。普段の生活を離れ、自宅に帰ってからも色鮮やかな景色となって脳裏に甦ります。
主人と共に蛇之倉山にご縁を頂きましてから、夫婦そろって祈り、神仏に心を寄せ過ごす毎日には心穏やかな時間が増えたように感じております。
疑問など持つ間もなく、なりふり構わず突っ走った20代。少し楽をする事を覚え、それなりの結果を得て、まあまあ幸せを感じた30代。そして40代を目の前にし、蛇之倉山に出会う前は「これから先もこのままでいいのかしら?」と不意に湧き出る問いかけをだんだんと無視できなくなっている自分がおりました。
40代は人生の折り返し地点とはよく言ったもので、それは決して変な事でも特別な事でもなく生きていれば幾度となく訪れる「人生の保守点検」の時期のひとつなのかもしれません。しかし、これまでのツケといいましょうか、今まで後回しにしていたものと向き合うという事は見たくない自分を見なくてはいけない。しんどいし、憂鬱だし、面倒くさいし、ハッキリ言って嫌な事です。それは、日常を言い訳にするといくらでも逃げ場ができてしまう厄介なものでした。なによりも、その問いに向き合うという事は今まで自分が立っていた地面が揺らぐような気にさえなるのです。今まで立っていた地面が崩壊してしまっては、まさに私という存在意義が崩壊するかしないかの一大事。そんな事を感じながら頭の中でぐるぐると、とりとめのない思いを抱いていた時分に蛇之倉山にご縁を頂きました。
期待とまだ見ぬ場所への漠然とした戸惑いを抱えて訪れた2017年の行者祭り数日前。そこでいきなり衝撃的なお話がありました。男性は41歳の厄年、女性は33歳の厄年までに35万巻(般若心経)のお祈りをするというのが、万物霊長の役割であり約束ごとだというのです。主人も私もその時をとうに過ぎております。私たちは初っ端から青ざめる事となってしまったのは言うまでもありません。
朝のお祈りから始まるお山での一日は、どれをとっても身の引き締まる事ばかり。なりよりも作務(さむ)の一つ一つ、食べることも感謝と共にあり今自分が生かされているという事に真摯に向き合い自分の本分を全うしようとするお山の方々の姿に心打たれました。その姿を目の当たりにした私はこれまでご託を並べてうだうだとしていた自分を恥じるしかなく、六根清浄と懺悔の言葉を口にする度にまるで傷口に塩を塗るようにじりじりとした痛みを感じながら登った初めての奥之院は忘れる事のできない思い出です。
日々の生活の中で手を合わせ祈る度に初めてお山に行った時の事を思い出し、万物霊長のお役目を果たすことがちゃんとできているのだろうか、あれからどれだけ成長できただろうかと振り返り自省するのが私たち夫婦の日課になっています。なによりもお山と出会っていなかったらきっと今の私たちはなかっただろうと思います。神仏に見守られていると感じる時、それは幼い頃の何の憂いもなく過ごしていた頃のような安心感に包まれ、生かされている事の意味を思うと神仏にはただただ感謝の気持ちしかありません。
私たち夫婦にとってお山はかけがえのない場所となりました。その教えがそして御護摩の炎が祈りと共に後世へ伝わらんことを願います。微力ながらもお役に立てますようこれからもご奉仕させていただきたく存じます。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします
。
□祈りの旅
埼玉県 鈴山美由紀 第192号 2014年
本当のことが知りたくて、ここ何年か、バリ島に通っていました。バリ島も蛇之倉山と同じくお祈りすることが生活の一部になっている島です。バリ島のお坊様や先生と瞑想をしていました。そして昨年、日本でヨガを勉強しお免状を頂きました。お釈迦様の修業の方法と云われるヨガですが、日本には、どうやって入って来たのかな?と、やっと日本に興味が持てた時に、蛇之倉七尾山に出逢うことが出来ました。
きっかけは、今年の5月11日にヨガの合宿で、蛇之倉山に伺ったことでした。法螺貝、太鼓の音、みんなの祈りと錫杖の音。体の小さな神直先生が、とてつもなく大きく観え『ヤバい。すごい。ここだ。見つけた。また来なくちゃ』と感じました。
そして今回八月、行者祭りの忙しい中、お山のみなさんに温かく迎えて頂きました。このご縁に大感謝です。ありがとうございました。
一週間、お山の生活を共にさせて頂きました。お山の先生方は夜明け前からフル活動でした。朝の拝神前にお祀りしているすべての神仏様へお供えをし、炊事場では、毎日変動する人数分のご飯の支度を黙々とされていました。毎日が驚くような出来事だらけでした。神直先生自らがお見舞いに行かれたり、お調べ事に行かれたり、自らが、動くことで、お山の先生方の先を歩かれているように思えました。炊事場の先生方は、どんなに作業をしていても必ず、神直先生やその他の先生のお出かけの際はお見送りをし、帰られたときはお出迎えをする。『当たり前なこと』と笑われてしまうかもしれませんが、自然と行われる心の籠った行いに感動するばかりでした。その先生方と生活ができる機会を持て本当に有難いと感じました。
一緒に炊事場に入り、一緒にお風呂に入り、大笑いしながらスイカを食べ、お料理の味見をいっぱいさせてもらいました。炊事場は、休む間のない大家族のエネルギー源、縁の下の力持ちでした。その中で私も出来ることをみつけて邪魔にならないように走っていろいろお手伝いをしてみました。
夏の大祭は行列後に雨が上がり炊事場のみんなで花火を見ました。炊事場の先生方は数年ぶりに見れた花火だったそうです。『今年は縁起がいい年だ』とニコニコされていました。それだけ炊事場は、みなさんのために美味しいご飯を一日中作っている場所でした。当たり前だけれど、もう一度、感じたことは炊事場の先生方が、愛情たっぷりで作ってくれるご飯を残すなんて罰当たりだなと‥‥。
目の前に美味しく並ぶご飯には、みんなの愛情がたっぷりです。『いただきます』の言葉を覚えて帰るありがたさに、涙が出ちゃいます。ウルウルしちゃいます。『天地の恵みの糧をいただきます。天地三宝の福徳神。いただきます』当たり前のことがすごく大切で、大切なことは何処でも日常に溢れていることを改めて感じました。
多くの皆さんが去った大祭の後、蝉の声が響く中、机や食器の片づけ、山盛りのふきんの洗濯、行者服装・白衣の洗濯、アイロンがけ、のぼり旗の片づけ。準備をした分の片づけをするお山の先生方の姿はいつも通り、心が籠っていて丁寧で一生懸命で、来年へ向けての祈りを感じました。
中略
神直先生に「どうにかして出来ることは、どうにかしてみなさい」「本当の先生を見つけたのに、お山を降りるのか?」という言葉を頂きました。
またすぐに、どうにかお山に帰ります。お山のみなさん、またよろしくお願いします。お山には逢いたい人が沢山います。この気持ちを大切に、みんなが笑顔になるお茶菓子を持って、蛇之倉山に帰ります。
□祈り?信仰ってなに?
東京都 阿部利果子 第180号 2012年
信仰からほど遠い生活を東京のオフィス街で送っていた私が、「祈り? 信仰とは何だろう?」と、初めて意識したのは、2001年のアメリカ同時多発テロ「9.11」のとき。まるで映画のシーンのように崩れ落ちる世界貿易センタービルをTVで観て、私の心と身体、そして思考は凍りつきました。
なぜこんな残酷なことが?どうして「平和」を願う信仰者同志が争えるのだろう?しかし、起きてしまった現実を変えることは出来ない。加えて、私という小さな人間一人が声を上げても世界は変えられない。何より世界の歴史を振り返っても、古今東西、「信仰」という大義名分のもと、ごくわずかな権力・財力を持った人々が、戦争を正当化し、社会的・経済的弱者を争いへと駆り立てる…。「信仰」と「戦争・貧困・搾取」の問題は切っても切れないもの…そう自分自身に言い聞かせ、私は信仰心を持って祈ることよりも、自分の思考と行動力を頼りに、自分自身の人生を切り開くことに集中しようと決めました。
それから10年。私が信仰から距離をおいた2011年。今度は自国で東日本大震災。多くの方が命を失い、犠牲になり、嘆き・悲しみ、生きる希望を失っていく様子を知り、私の中で同時多発テロと同様、行き場のない怒りと憤りがふつふつと沸き起こりました。
混乱から二転三転する政府の対応。先の見えない被害者側の不安。広がり続ける風評被害…。弱者が虐げられてしまう歴史は繰り返されるの?そもそも、こんな残酷な世界を放置する、「神様、仏様」なんて信じられない!今、思えば大変思い上がった考えに恥ずかしくなりますが、その当時の私は、東北で犠牲になった方々の心痛を想い、政府・東電の責任者を通して、神仏に挑むような気持ちでした。そんな折、ふと脳裏に神直先生の真っ白いお髭をたくわえた、お優しいお顔がぽっと浮かびました。(神直先生とは、知人が結んでくれた不思議な縁で、それまでも2回ほどわずかですがお話をさせていただいていました)。皆様もご存じのとおり神直先生は、戦時中、焼けただれる戦火の中、乳飲み子が既に死んでいる母親のおっぱいを求める姿を見て、ひどくお心を痛められ、信仰の道で生きることを誓った方。人々の苦しみがわかる誰よりもお優しい方だからこそ、争いの絶えない世を憂い、戦争のない平和な世界を求め、天に向かって直談判しようと、大空に向かい「神出てこい!
仏出てこい!」と叫んだ稀有な方。
神仏の前で頭を下げ「神さま、仏さま、助けて下さい。智恵を授けてください」と、我欲のためにご利益を求めたのではなく、私には想像もできない過酷なお行を何年も積み、ご自分の人生をかけ、日本のそして世界の平和のために心血を注いだ方。そんな神直先生を再々訪ね、私の不安や怒り、信仰に対する憤りを正直に話すと、「ただ祈りなさい」とおっしゃいました。
「生意気を言うようで申し訳ありませんが」と前置きをしつつ、私が小さな声で、でも素直な気持ちから、「私一人が祈っても何も変わらないと思います…」と言うと、
「それでもいいから祈りなさい」とだけ。
正直なところ、私としてはもっと祈り、信仰に対し、そして何より世の中の乱れに対して明確な答えを先生からいただけると期待していました。でも先生は、そんな私の心を見透かすように、「クレクレ乞食」になってはいけないよ、と続けます。
「知恵を授けてくれ。情報を与えてくれ。人を紹介してくれ。神通力をくれ…他人に答えを求める人間のことを〝クレクレ乞食〟と言うんだよ。 本当の学びとは、そうじゃない。自分の心と体をつかって、自分の手でつかむもの。だから祈りなさい。祈りの力を信じられるときが来るその日まで祈り続けなさい」と。
疑問と不安、かすかな反抗心を抱きつつ、でも「神直先生のおっしゃることならば信じてやってみよう!」。そう思い直すと、私の心は急に晴れ晴れとし、心機一転、今年の六月から一か月間、蛇之倉山に道場生として入山させていただきました。しかしながら修行は限られたわずかな時間。東京に戻る日が近づいても、「祈り」に対する明確な答えを得ること出来ず、私は焦っていました。そんな東京に戻るのを数日後に控えた夜のことです。
いつもならば、ご神殿は自主的に夜の祈力行を行う先輩方の姿があるのですが、その日に限って誰もいません。不思議に思いつつ、ご燈明に火をつけ、お線香の心地よい香りに包まれながら一人、七光観世音大菩薩様の前で祈力行を続けていると、三十巻目の般若心経を唱えた頃でしょうか?般若心経を唱える私の声は震え始め……ボロボロと頬を大粒の涙がこぼれていきます。
どのくらい時間が経ったでしょうか。気が付くと私は床にうずくまり、むせび泣いていました。でも、それは決して悲しい涙や、怒りや 悔しさの混じった涙ではありません。もっと暖かく、不思議と心が満たされ、うまく表現できる言葉が見当たりませんが、「世界は決して残酷なものばかりではなく、神仏はいつも私たちを見守ってくださっている」という確信に似た安堵感から溢れ出た涙でした。
私は今、山を下り、東京で生活を再開しています。正直に言いますと、今でも「祈り」や「信仰」が何であるか?はっきりとした答えは分かっていません。でもあの夜、七光観世音大菩薩様の前で私の頬をつたった温かな涙が、目に見えない信仰に対する……言葉にはできない真実なのかな?とうっすらと感じています。
もちろん、これからも自宅でのお祈りを続けていこうと思います。しかしながら、お祈りだけに逃げ込むことなく、自分の人生を信仰心と感謝の気持ち、そして行動することを合わせもち、健康で明るく、何より私らしく朗らかに歩んでいきたいと思っています。
蛇之倉山で過ごさせていただいた一か月間は私にとって、かけがえのない財産です。これから続く私の人生にとって、大きな支えになることを今、改めて確信しています。このような機会を与えて下さった神直先生をはじめ諸先生方、また温かく迎えて下さった道場生の先輩方に心から感謝します。ありがとうございました。
□感謝の祈り
人間は自由に考え自由自在に動ける身体を神様より頂いております。それを使って、自分勝手なしたい放題のことをして、感謝の祈りもない。そして、怪我をすれば「神さん」、病気をすれば「神さん」と言って、すがられます。そんなことで願いが届くでしょうか。日々の感謝の祈りがあってこそ、いざという時に願いを聞いてくださるのではないでしょうか。
祈りをするのにお金はいりません。気持ちがあれば誰にでもできるのではないでしょうか。蛇之倉山でも毎朝六時に祈らせていただいております。「世界平和、国家安泰、全ての者が平穏に幸せに暮らすことができますように」と。
□祈り 奈良県 女性
『私の家では、おじいちゃんが、おばあちゃんが、毎日お祈りをしているから』とか、『私はまだ若いからとか、小さい子供がいるからお祈りなんかできない』と、思っているお母さんはいませんか?もし、あなたが死んであの世で、『生きているうちにお祈りをしておけばよかった』と思うようなことに出会うかもしれません。死んでからのことなんか誰にも分かりません。分からないから死んでからでは遅いのではないでしょうか。
私は3人の子供の母親です。毎晩、家族で神仏にお祈りをしています。家族揃ってお祈りの出来ることを、幸せと感謝の気持ちでいっぱいです。子供にお金や財産を残すより「祈り」を残してやりたい。
□お祈りの大切さ 武生市 女性
私は、一月十一・十二日に北陸別格本山へ寒行に行きました。初めての寒行だったので、最初はどんな事をするのか全然想像がつかなくてドキドキしていました。寒行に出る前に寒くないように暖かい格好をして、ハチマキをしめ、手甲をはめて準備をし班ごとに分かれてそれぞれ出発しました。
寒行する家に着くと、御札を渡す先生が、「別格より寒行に寄せてもらいました」と言われ、すごく緊張しました。先導者の先生がお祈りを始め、その後に続いて私もお祈りをしました。初めは緊張して声が小さくなってしまったけれど、やっていくうちに緊張がほぐれて大きな声でお祈りが出来る様になり、何軒もお祈りしていると気持ちがなんだかスッキリしてきました。こうやっていろんな家を回っていると、私達と一緒になって手を合わせてくれる人もいれば、出て来ない人もいるし、小さな子供がおじいちゃん・おばあちゃんと一緒になって手を合わせる家もあれば色々でした。お祈りする前はすごく寒かったのに始めたら体がだんだん暖かくなってきました。
次の日は、初めの日と違って寒行するには暖かいぐらいでした。残りの家を回り無事に終わりました。寒行が終わり私は、いろんな家庭があることも分かったし、小さな子供が一緒になって手を合わせてくれた姿には少し感動しました。どの家庭も親が子供に祈りというものを伝えていってほしいし、私も親になったら、子供に伝えていけたらなぁ、と思いました。
すごく疲れたと思ったけれど、この寒行で、先生(彼の行者)が「時間があったら、お祈りをしなさい」と言われることが、あらためて心にひびいてきて、本当にお祈りは大切なものだと改めて実感し、今までよりもっと一生懸命にお祈りに励もうと思いました。
□祈り行をして 横浜市 女性
この度、蛇之倉七尾山にて約一ヶ月の祈る行をさせて頂きました。きっかけは、八月に母と共に甥・姪を連れて帰山した際、神直先生より祈り行について御声を掛けて頂いたことでした。その時は驚き、戸惑いましたが暫く考え覚悟を決めました。お行を始めてみると祈り続けることが如何に辛く苦しいものであるかを思い知りました。特に、声が次第にかすれ、小さく力無いものとなり、どうにかして声を出そうと様々に試みても声が出ず、一語を唱えるのに全身を使って、やっと空気が震える状態の時、お祈りについて或る先生がおっしゃった〝体が二つに折れるかと思う
ほどの苦しさ〟を実感しました。しかし、この行をなさった方々は、みんなこれを乗り越えられたと思うと、それが
私を支えてくれました。
今、振り返ってみると、この行をやり遂げられたのは、期間中も感じていましたが、周囲の方々が何もおっしゃらないけれど、常に暖かく見守って下さっていた御陰だと改めて思います。皆様、言葉では言い表せないほど感謝いた
しております。本当にありがとうございました。この度のお行は、私にとって宝物であり、今回学んだことを心に留めて、これからも続けていこうと思っております。
□初めてのお行 東京都 男性
去年の七月から十一月まで約四ヶ月の間、蛇之倉山にて生活させて頂きました。毎朝の拝神や行者祭り、戸閉め式の護摩法要などの行事への参加や、薪割りや山での作業など、日々の生活では神直先生を始め、諸先生方には色々と教えて頂きました。自分にはどれもが初めての体験で、すべてが新鮮でしたが、中でも一番印象に残っているのは「祈り」を教えていただいたことです。
万物万象の為に祈ること。何も知らない自分に一から丁寧に教えて頂き、朝・夕には一緒にお祈りして下さり、沢山の方々に助けていただき本当に嬉しかったし励みになりました。本当にありがとうございました。今回、お山で教わったことは沢山ありすぎて、今は分からないこともありますが、神直先生の御言葉を心の糧として、祈りを続けながら生きていきます。
□祈り行をさせていただきました
埼玉県 女性
この度はお祈りや心身錬磨のお行をさせて頂き、とても感謝しております。有難うございます。私は何年か前に精神的に日常生活を生きることが困難になってしまいました。このことをきっかけに色々な出会いや心の教え、人の生き方など、いっぱい学ばせて頂きました。今では前の私よりも自分のことが好きになっていたり、心が楽になっていたり、あのつらかった時に感謝しています。
今回9日間、お祈りさせて頂くことができてさらに心が安心しました。本当に感謝しております。ありがとうございます。
□お祈りをして 東京都 女性
この度、約二週間、お山にて祈り行をさせて頂きました。この機会をいただき、やっと私の中でお祈りの意味と大切さを理解することができました。今まで私は「お祈り」に対し、受動的だったため、正直なところ苦痛に感じ日々祈りを重ねられていませんでした。でも理解できた時から気持ちが切り替わり、自然と能動的なものへと変わっていきました。
まだ祈り始めたばかり。これからは素直な心で神仏へ、そして私を生かしてくれている全てのモノそしてコトへ、日々の感謝の気持ちを込め祈りを重ねていこうと思います。
最後になりましたが、今回のお行はお山の皆様のご厚意と温かい心づかいなくしては成り立ちませんでした。心より感謝申し上げます。そして滞在中に出会った方々からも沢山のことを教えて頂きました。あわせてお礼申し上げます。ありがとうございました。
□死に様は生き様 矢崎幸男
第251号(2024年)
〇私の書いた尊厳死の宣言書(リビングウィル)
七十歳になろうとしていた去年、わたしは終活の一環として、日本尊厳死協会の勧める書式(2022年11月改訂版)で、下のようなリビングウィルを作成いたしました(2023年3月)。
リビングウィル(人生の最終段階における事前指示書)
この指示書は私が最後まで尊厳を保って生きるために私の希望を表明したものです。私自身が撤回しない限り有効です。
・私に死が迫っている場合や、「意識のない状態が長く続いた場合」(「」はこの文章のために付け加えたもの)は、死期を引き延ばすため だけの医療措置は希望いたしません。
・ただし私の心や身体の苦痛を和らげるための緩和ケアは、医療用麻薬などの使用を含めて充分に行ってください。
・以上の2点を私の代諾者や医療・ケアに関わる関係者は繰り返し話し合い、私の希望をかなえてください。 以下省略。私はこの文書を作成した後も、自身の判断に間違いがないかを確認するため、「尊厳死」や「安楽死」に関する書籍や論文をいくつか読んでみました。すると、「意識のない状態が長く続いた場合」、いわゆる植物状態※に陥った場合でも、実際には意識があるとの報告が多数提出されていることに気が付きました。
※脳死と植物状態の違いは、脳全体の機能が失われたかどうかです。脳死の場合は、脳幹も含めて脳の機能がなくなり、回復の可能性はありません。植物状態の場合は、脳幹の機能が残っており、自発呼吸ができ、回復の可能性もある状態です。脳死と植物状態は、全く違うものです。
『安楽死 生と死をみつめる NHK人体プロジェクト編著』には、千葉療護センターの堀江武院長の次のような話が載っております。
「重度の植物状態の患者にも意識はあると思います。患者はメッセージを出しているにもかかわらず、ただわれわれがそのメッセージを細心の注意を払って受けとめようとする姿勢がなかったり、または理解できないだけなのです」(236頁)。この見解は、同センターの三輪清子総婦長もまったく同じだとあります。そして、同書には植物状態から回復した例がいくつも載せられており、その中には、植物状態になって実に七年目に、看護婦が牛乳を飲ませたところ、「オイシイ」と突然言葉を発した男性患者の話も載っております(239頁)。
同センターには、ごく重度の植物状態の患者しか入院できません。それにもかかわらず、四十人の入院患者のうち二十一名が何らかの意思伝達が可能となり、三十一名が笑う、泣くなどの感情を表わすようになったとあります。
加えて、同センターが受け入れた六十七名のうち、十一人が植物状態を脱却したとあります。脱却の条件は、車椅子を自分で動かせ、障害物があると停止するか避けることができ、食事はこぼすことがあっても自分の手を使って食べられるようになることだそうです(239頁)。
どうやら、いわゆる植物人間とは意識のない人間なのではなく、意識はあるけれどそれを外部に表明できない人間ととらえるのが真実に近いようです。
霊長としての尊厳
たしかに、①「近親者やその他周りの者に負担をかけたくない」②「他人にオムツを交換してもらうなんて嫌だ」、というような精神的苦痛から逃れたいというのもよく分かります。これらは、わたしがリビングウィルを作成した主な理由でもあります。
しかしながら、このような個人的な精神的苦痛だけを理由にして自身の人生の終末を決めて良いものかという思いが、あるとき「フッ」と湧いてまいりました。あまりにも、神仏や万物万精から受けた恩を忘却しているように思われたからです。
我々が転生して、次にこの世に出て来られるのは何時のことでしょう。その時、信仰に目覚めるという保証もありません。信仰に目覚めたとしても、御利益信仰に絡めとられてしまう可能性だって十分にございます(世の信仰のほとんどが御利益信仰なのですから)。
今現在、祈りの大切さを理解している人間が一体どれだけいるでしょうか。私の住んでいる甲府では、一般家屋からお祈りをしている声をこれまでに聞いたことがございません。したがって、甲府中を探し回っても、世の為、人の為、万物万精の為に祈っている人間はごくわずかしかいないと思われます。そうだとするならば、幸運にも神直先生に巡り合えたためにそれを実践できている我々は、たとえ植物人間になろうとも(意識はあり祈ることが可能なわけですから)、一分一秒でも生き抜いて祈るべきではないでしょうか。
それが、地球霊主である真宇王大霊大権現様とご縁を頂いた者達の責務であると私には思われます。「万物の霊長である人間の真の生き方とは、一分一秒たりとも無駄にせず、世の為、人の為、万物万精の為に尽すことだ」と、教祖先生から教えて頂いた我々の責務だと考えております。
以上より、万物の霊長という観点からいたしますと、個人的な見栄や体裁に囚われることなく、諸般の事情が許せば、たとえ植物人間になろうとも「命ある限り」祈り続けた後の死をこそ「尊厳死」と言うべきだと私には思われます。
結局、私は冒頭のリビングウイルを撤回いたしました。 合 掌
参考文献
『NHK人体プロジェクト編著 NHK出版』